初代C2系
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/18 14:28 UTC 版)
2代目アウディ・100の上級モデルとして、1979年にデビューした。これは100のシャシをベースに、100の上級車が搭載していた内径79.9mm×行程86.4mm、直列5気筒2,144cc、ボッシュ製燃料噴射装置Kジェトロニック付き136馬力、もしくはそれに圧縮比を7.0に下げてKKK製ターボチャージャーで過給した170馬力エンジンを搭載し、足回りを強化したモデルであった。駆動方式は前輪駆動のみとされた。 比較的大柄なボディを小型のターボエンジンが前輪駆動するという構造は、当時のアッパーミドルクラスの乗用車ではユニークであった。内外装も100よりも高級化されており、外観では角型4灯式ヘッドライトと15インチ6Jアルミニウム合金ホイールが特徴であった。 ターボモデルの動力性能は自然吸気2.8リットルクラスと概ね同等であり、当時のメルセデス・ベンツ・280EやBMW528i、ボルボ260シリーズがライバルとなり得た。それらとの比較では、新しさ(60扁平タイヤが前提のシャシセッティング、小排気量ターボ)、静粛性、室内スペースではアウディ200が優り、重厚な造りとタイヤに頼らないシャシセッティングのメルセデス、緻密な回転フィールのエンジンとハンドリングに優るBMWという構図であった[要出典]。とはいえ、当時のアウディはまだまだメルセデスベンツやBMWのライバルとは言える出来に達してはいなかった。 日本には1981年からターボモデルの5Tが輸入されたが、日本仕様では自動車排出ガス規制により135PS/5,400rpm、20.6kgm/3,000rpmにとどまり、更に3速ATが難点であった。1982年モデルはヘッドライトがハロゲンのシールドビームとなり、後部のエンブレムが「5T」から「Turbo」に変更された。最高速度は180km/h。
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