初代日本フライ級王者に
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2002年2月3日、土田奈緒子を10R判定で下し、JWBCが認定する初代日本フライ級王者となった。 2002年4月29日、北沢タウンホールで、現役日本ミニフライ級王者のマーベラス森本と対戦。8R判定0-2で敗北。 2002年7月17日、大道塾の主催する「THE WARS 6 〜新たなる胎動〜」の「日本対フランス・ゴールデントロフィー対抗戦(WARSルール)」に参戦。ステファニー・デュカステルと55kg契約で対戦。2R2分15秒腕ひしぎ膝固めで一本負けを喫した。本人の弁によれば、ブレイクと勘違いして力を抜いた所で関節を極められたという。 2002年9月7日、アマンダ・ブキャナンとの8回戦に挑む。八島のパンチで出血したブキャナンは7ラウンド開始時にこの試合が6回戦である旨主張し自ら退場、試合放棄によりTKO勝利となった。 2003年1月24日、韓国ソウルのチャムシル学生体育館にて行われた日韓フライ級スーパーマッチに出場し、現役韓国フライ級王者の李仁栄と対戦。オーバーワークによってひいた風邪をこじらせ、前回の試合で負傷した箇所が完治しないまま出場、初のダウンを奪われ8R判定負けを喫した。 2003年11月30日、猪崎かずみを相手に初のタイトルマッチ、ドロー防衛。 2004年4月4日、東京のゴールドジムサウス東京アネックスで現役日本ミニフライ級王者で後のWIBA世界王者である袖岡裕子と2分2Rのエキシビションマッチを行った。
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