初代日本青年館
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明治神宮の造営に勤労奉仕をした青年団が皇太子から功績をたたえられたことを記念して1920年(大正9年)に建設の議が起こり、1人1円を合い言葉に全国の青年団員による募金活動などが展開され、1922年(大正11年)12月着手の運びとなり、162万円の工費により地上4階(のち5階建て)地下1階の初代日本青年館が1925年(大正14年)10月に完成した。概要は約500名収容可能の宿泊施設のほか、2000名収容の講堂、図書室、新聞雑誌縦覧室、資料陳列室、談話室等を備えたものだった。新交響楽団の最初の本拠地でもあった。 また、別館として都内小金井市に「浴恩館」を建設し、そこに青年団指導者養成所を開設した。さらに1936年(昭和11年)に千葉県香取郡本大須賀村久井崎(現・成田市久井崎)に修練場を開設 し、農業指導などに活用した。
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