初代中華民国副総統・総統代理とは? わかりやすく解説

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初代中華民国副総統・総統代理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 16:50 UTC 版)

李宗仁」の記事における「初代中華民国副総統・総統代理」の解説

日中戦争勝利後、李宗仁軍事委員委員長北平行営主任1946年9月国民政府主席北平行轅主任改組)に任じられ共産党との戦い開始する1948年中華民国副総統選挙出馬し白崇禧らの支持得た李宗仁蔣介石推す孫科破って副総統当選した1949年1月蔣介石国共内戦不利の責任をとって総統辞任すると、李宗仁総統代理就任し共産党との和平交渉開始する同年4月1日張治中を代表とする共産党との和平交渉団を首都南京から北平北京)に派遣して北平和談中国語版)を行い交渉団が最終案である国内和平協定中国語版)を持ち帰ってきた。しかし、国民党4月20日和平協定への調印拒否決定し共産党調印拒否通告する電報送ったために交渉決裂したその結果3日後の4月23日には交渉決裂受けて起きた渡江戦役人民解放軍によって中華民国の首都南京陥落し南京総統府占領されてしまった。 1949年10月内戦毛沢東中華人民共和国成立する結末迎える。11月李宗仁香港逃亡し、さらに12月にはアメリカ合衆国へ亡命してしまった。李宗仁当時アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマン台湾逃れた蔣介石打倒訴えて台湾アメリカ合衆国51番目の州にすることも提案した一方李宗仁逃亡によって空席となった総統代行には憲法49条の規定基づいて行政院長閻錫山就任し国民党とともに台湾へ渡った蔣介石1950年3月1日総統への復任宣言するまで在職した。そして、1954年3月総統選挙に際して台湾帰国しない李宗仁国民大会副総統から解任した。

※この「初代中華民国副総統・総統代理」の解説は、「李宗仁」の解説の一部です。
「初代中華民国副総統・総統代理」を含む「李宗仁」の記事については、「李宗仁」の概要を参照ください。

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