初代トリニティ教会
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「トリニティ教会 (ニューヨーク市)」の記事における「初代トリニティ教会」の解説
初代トリニティ教会の建物は腰折れ屋根と小さなポーチのある質素な矩形の構造であり、1698年に建設された。歴史史料に拠れば、悪名高い私掠船のウィリアム・キッド船長がその船から石をつり上げるためのランナーと滑車を貸した。 イングランド女王アンが1705年に教区の保有土地の広さを215エーカー (860,000 m2) に拡げた。その後の1709年、ウィリアム・ハドルストンが教会の慈善学校としてトリニティ・スクールを設立し、当初の授業は教会の尖塔内部で行われた。1754年、キングス・カレッジ(現在のコロンビア大学)がイギリス王ジョージ2世に認証され、教会近くの校舎に8人の学生を集めて講義が始められた。 アメリカ独立戦争の間、ジョージ・ワシントン将軍と大陸軍がロングアイランドの戦いとそれに続く戦闘で敗れた直ぐ後にニューヨーク市から撤退し、ニューヨーク市は北アメリカにおけるイギリスの軍事と政治の基地になった。イギリスの占領下で、牧師はロイヤリストであることが求められ、教区民の中には革命ニューヨーク植民地会議、さらには第一次と第二次の大陸会議の代議員も入っていた。 トリニティ教会は1776年ニューヨーク市大火で焼け落ちた。ファイティングコックス・タバーンから出火した火災は500軒近い建物や家屋を焼き、数千のニューヨーク市民が家を失った。その6日後、市内の消防団志願者の大半が、北にいたワシントン将軍のもとに走った。 1784年にサミュエル・プロボスト牧師がトリニティ教会の教区牧師(在職1784年 - 1800年)に指名され、ニューヨーク邦議会はトリニティ教会の認可を批准して、イギリス国王への忠誠を主張する規定を廃した。1787年プロボストが新しく定められたニューヨーク教区の初代司祭として任ぜられた。1789年にフェデラル・ホールであったプロボストの就任式後、トリニティ教会教区の礼拝堂であるセントポール礼拝堂でプロボスト司祭が宰領した感謝祭の催しにワシントン将軍が出席した。ワシントンは2代目のトリニティ教会が完成する1790年まで、そこでの礼拝への出席を続けた。セントポール礼拝堂は現在、トリニティ教会教区の一部であり、ニューヨーク市で使われ続けている建物としては最古の公共建築物である。
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