初代テンペーギェンツェン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 16:40 UTC 版)
「ジェプツンダンバ・ホトクト」の記事における「初代テンペーギェンツェン」の解説
1614年、チョナン派の高僧ターラナータはモンゴルへ巡錫し、20年ほどそこで布教をしていた。ターラナータはモンゴル人の信頼を得、モンゴル人は「ジェプツンダンパ」と彼のことを呼んだ。1634年にターラナータは没したが、翌年に生まれたハルハ部のトゥシェート・ハーンの息子ザナバザルをその転生とし、法名を「ロサン・テンペーギェンツェン」としてモンゴル独自の法王を立てた。 1649年、ザナバザルはチベットへ修行に行った。当時チベットはグシ・ハンの勢力下にあり、チョナン派はゲルク派に取って代わられようとしていた。1650年、ザナバザルはパンチェン・ラマ4世から受戒し、正式に僧となった。そして、ダライ・ラマ5世と謁見し、ゲルク派に改宗の上で活仏と認定するということで、翌年ゲルク派に改宗し、ザナバザルは正式に「ジェブツンダンパ・ホトクト1世」となった。1657年、モンゴルへ戻ったザナバザルはエルデネ・ゾーでチベット仕込みの仏教を広めていくこととなる。1688年、ジュンガル部のガルダン・ハーンから攻撃を受けて清へ助けを求め、後に冊封の関係を結んだ。 1691年、康熙帝より「ホトクト大ラマ」の称号を賜り、ハルハ地方の宗教的、政治的指導者へと上りつめていった。以降、ジェプツンダンパの名跡は清朝の冊封を受けてからダライ・ラマが追認するという形式となった。
※この「初代テンペーギェンツェン」の解説は、「ジェプツンダンバ・ホトクト」の解説の一部です。
「初代テンペーギェンツェン」を含む「ジェプツンダンバ・ホトクト」の記事については、「ジェプツンダンバ・ホトクト」の概要を参照ください。
- 初代テンペーギェンツェンのページへのリンク