出航から馬公までとは? わかりやすく解説

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出航から馬公まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 16:40 UTC 版)

ヒ71船団」の記事における「出航から馬公まで」の解説

1944年8月8日ヒ71船団門司出た伊万里湾立ち寄って陣容整えた後に、8月10日あらため出航した。このときの編成は、タンカー8隻(海軍給油艦速吸を含む)、陸軍特殊船3隻、客船貨物船8隻および海軍給糧艦伊良湖であったいずれも優秀船で、最高速15ノット上で航行可能だった。陸軍特殊船客船貨物船多くには陸軍部隊軍需物資とともに満載されており、タンカー一部にまで便乗していた。輸送兵力は、部隊として35,000名と便乗者2,600名、計37,600名、比島転用重砲であった。 これら合計20隻の輸送船を、空母大鷹夕雲型駆逐艦藤波第32駆逐隊)、神風型駆逐艦夕凪(第30駆逐隊)、海防艦5隻(平戸倉橋御蔵昭南第11号)が護衛した大鷹今回3度目船団護衛任務で、対潜哨戒用に第931海軍航空隊所属九七式艦上攻撃機12機を搭載していた。船団指揮は、海防艦平戸旗艦とする第6護衛船団司令部司令官梶岡定道少将)が執った。護衛艦は、4列縦隊組んだ輸送船周囲取り囲むように航行した大鷹と直衛2隻(藤波夕凪)は船団後方位置した出航から半日後、陸軍特殊船吉備津丸日本郵船、9,574トン)の機関故障同船離脱して長崎港向かった東支那海横断し舟山群島経て中国大陸沿岸南下12日夜~13日にかけて天候悪化し船団暴風雨台風接近予想あり)を避けるため航路変更8月15日夕刻台湾中国大陸間の台湾海峡に浮かぶ澎湖諸島馬公寄港した馬公で、給糧艦伊良湖」など輸送船4隻が別行動をとることになった。さらに、ヒ71船団重要度の高さにかんがみ潜水艦襲来の危険が大きな台湾バタン諸島間のバシー海峡から南シナ海突破万全を期すため、第一海上護衛隊より第三掃蕩小隊駆逐艦朝風海防艦4隻(択捉松輪佐渡、日振)が護衛追加された。

※この「出航から馬公まで」の解説は、「ヒ71船団」の解説の一部です。
「出航から馬公まで」を含む「ヒ71船団」の記事については、「ヒ71船団」の概要を参照ください。

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