出演レスラーのその後
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「ビヨンド・ザ・マット」の記事における「出演レスラーのその後」の解説
中心的な出演者3人は、本作の公開に続く数年間、おおむねそのままの生き方を続けた。フォーリーはハードコア・スタイルのプロレス活動によって健康を損ない、2000年に34歳でセミリタイア状態に移行した。妻コレットとの間にさらに二人の子供が生まれたこともその動機となった。フォーリーはその後も不定期にリングに上がっていたが、2012年に医師によってプロレス活動を禁じられた。その当時、ディーン・アンブローズをファーム団体NXTからWWE本体に昇格させる手段としてフォーリーとの抗争が検討されていたが、水泡に帰した(アンブローズは結局ザ・シールドの一員として同年にWWEデビューを果たした)。フォーリーは2013年4月6日にWWE殿堂入りした。その後フォーリーはアメリカ各地でスタンダップ・コメディ公演と講演活動を盛んに続けている。また彼の自伝は何度もニューヨーク・タイムズのベストセラーリストに挙がっている。 本作のエピローグで語られるように、テリー・ファンクの引退は3か月しか続かなかった。テリーはその後も「引退試合」を繰り返し行い、2013年1月12日に68歳で何度目かの引退宣言を行った。2008年にテリーは兄ドリー・ファンクJrとともにWWE殿堂入りした。 ロバーツは本作の公開以来薬物とアルコールの摂取量が増えた。2004年にはロンドン・コルニーの自宅で飼っていた蛇のダミアンを餓死させたことから「不必要な苦痛を与えた」として告発された。2007年にWWEは、WWWF・WWF時代を含む元所属選手が何らかの薬物依存症からの回復支援を必要とする場合に全費用を負担する方針を打ち出した。複数の報道およびロバーツのMySpaceページによると、ロバーツは2007年12月10日時点でWWEによる14週間の無償リハビリプログラムを受けていた。2008年5月、ジム・ロスは「ジェイク・ロバーツの治療プログラムが完了してから数週間経つが、彼の調子は良好だ」と伝えた。ロバーツはインディペンデントシーンでプロレス活動を続け、2012年には同業のダイヤモンド・ダラス・ペイジの助力で人生を立て直すべく、ペイジとの同居を開始した。2013年にはスコット・ホールまでがロバーツのリハビリに協力するため同居に加わった。ペイジの居宅には「アカウンタビリティ・クリブ(家)」という愛称が付けられた。その様子はドキュメンタリー映画『The Resurrection of Jake the Snake』に記録されている。 ロバーツはファン・コンベンション(WrestleCon 2013)においてWWEへ復帰してロイヤルランブル2014に参加する希望を表明したが、実現には至らなかった。しかし翌2014年、ロバーツはほぼ9年ぶりにWWEテレビ番組に復帰した。特別エピソード『オールドスクール・ロウ』におけるCMパンク対ロマン・レインズの試合の終盤、ロバーツは新しい蛇(アルビノのビルマニシキヘビ)をともなって登場し、ニュー・エイジ・アウトローズとパンクに加勢してザ・シールドを蹴散らした。ジェイクは近年皮膚がんと診断されて処置を受けたものの、健康状態は良好で禁欲的な生活スタイルにもなじんでいる。ロバーツは2014年にWWE殿堂入りした。
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