再併合後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「再併合後」の解説
第21回公判(1991年5月28日)で、新たに選任された被告人Mの国選弁護人2人が、それまで無関与を主張していた富山事件について、「北野と共謀した。殺害実行犯は北野」とする内容の控訴趣意補充書を朗読した。その後、両被告人の審理が再び併合され、北野の弁護人は「北野に対する検察の控訴と、Mによる控訴を分離し、新たな証拠調べを行わず、直ちに前者の控訴を棄却する判決を求める」とする意見書を朗読した。一方、Mが長野事件について、第一審から一転して「北野と共謀した」と供述を一転させたため、検察官は長野事件の現場検証を申請。 第22回公判(1991年6月25日)で、M側の弁護団がMに対する被告人質問を行った。Mは同日、それまで全面的に関与を否定していた富山事件について、「北野と共謀し、富山駅で初対面のAを誘った。殺害は北野が実行した」と、新たな供述を展開。また、「実行犯は北野」と主張していた長野事件についても、「Bを誘拐後、北野と待ち合わせて合流する約束をしたが、待ち合わせ時間になっても北野が来なかったため、『自分が殺すしかない』と考え、林道に駐車してBを絞殺し、死体を遺棄した」とそれぞれ供述した。このように新たな主張を展開した理由については、「弁護士から、Bの父親から届いた手紙の内容を聞かされ、『自分のことをわかってもらうためには勇気を持って打ち明けないとダメだ』と説得されたから」と話した。また、続く第23回公判(7月9日)では、長野事件のことを11年間偽証し続けてきた理由について、「逮捕前に北野と打ち合わせをし、『自分が両事件とも実行し、北野は無関係』という口裏合わせをしていたが、第一審の意見陳述の際、北野から聞くに堪えない中傷や悪口を言われたから」と述べた。 1991年8月31日までに、北野の弁護人は、「なぜ、殺害現場に行かなかったのか-北野の一貫した『嘘話の存在』主張」と題した最終弁論の要旨(3部に分けたうちの第1部)を名古屋高裁金沢支部に提出。この要旨で弁護人は、「Mと北野は、検察官が主張するような『一心同体』の関係にはない。北野はMの金儲けの話に騙され、振り回されていただけで、事件には関与していない」と主張した。その後、「辛酸な冤罪の原因は何か」と題する第2弾と、第3弾(検察主張に対する反論とまとめ)を提出した。 控訴審は1991年11月12日の第28回公判で結審。同日の最終弁論で、検察官は改めてM・北野両被告人の共謀を主張し、両被告人への有罪(北野について第一審判決の破棄、およびMの控訴棄却)を求めた一方、北野の弁護人は無罪(検察側の控訴棄却)を、被告人Mの弁護人は死刑判決の破棄(量刑の減軽)をそれぞれ求めた。
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