内ゲバ戦争の激化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 14:19 UTC 版)
「革命的労働者協会(社会党社青同解放派)」の記事における「内ゲバ戦争の激化」の解説
2000年(平成12年)2月8日、福岡の赤砦社が現代社派のゲバ部隊に襲われ、現地に派遣されて常駐していた福井大生片岡利和が殺害された。その翌朝、1000キロも離れた神奈川県真鶴町で福岡での襲撃を実行したゲバ部隊のキャップとサブ(女性)が赤砦社派の追っ手によって、早々と殺害・重傷を負った。 福井大生を殺害した部隊は、朝の犯行から夕方まで福岡市内で潜伏していたらしく、同8日夕刻博多発東京行きの寝台特急にカップルを装いこの二人は乗車していた。 ところがこの時点で既に赤砦社派はこの二人の捕捉に成功しており、そっと同じ列車に乗り込んでいた。彼らを載せた列車が熱海駅に停車すると偽装のためか二人は下車し、上り在来線普通列車に乗り換える。そして二つ目の真鶴駅に到着したとたん、追っ手の出刃包丁で武装した赤砦社派による襲撃が列車内で始まり、衆人環視のなかこの二人はメッタ刺しになる。この襲撃で男性幹部のキャップ柿沼忠は駅のホームで絶命。同行の女性幹部後藤あざみも失血死寸前となるが、周囲の懸命の配慮(救急車搬送よりも小田原駅近くの総合病院へ、このまま血の海と化した車両を動かしひん死の後藤を動かさずに運んだ)により一命を取り止める。赤砦社派部隊は、真鶴駅先に逃走用車輌を用意しており、犯行後に改札口を跳び越して逃げてきた彼らを回収して姿を消した。 これまで出刃包丁が「内ゲバで使用する武器」として用いられたことは、対革マルをも含めて一度もなかった。相手の現代社派には大きな衝撃を与えることとなった。このように赤砦社派が武器のレベルアップに踏み切ったことは、直ちに現代社派にも採用されることとなった。 2000年(平成12年)8月30日 朝の通勤ラッシュで混み合う鶯谷駅東口を降り立った赤砦社派の女性メンバーリーダー格、明大生協従業員組合書記長片山美恵子が、マスク姿の現代社派部隊に襲われ衆人環視の中で全身をメッタ刺しにされ、即死。犯行を終えた襲撃者らは改札口を飛び越えて離脱、待ち受けていた盗難車に乗って行方をくらました。襲撃者らの武器は小型出刃包丁やクリ小刀だった。致命傷となったのは肋骨に逆らわないよう、刃を横にして彼女の心臓にまで達するよう出刃を突き立てたものだったと報じられた。この手段を選ばない犯行、血の海となって残された犯行現場のむごたらしさに、駆け付けた下谷警察署の警察官も言葉を失ったという。
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