内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:52 UTC 版)
「日本の新左翼」の記事における「内ゲバ、連合赤軍、爆弾闘争」の解説
1972年以降、中核派や革労協と革マル派の内ゲバが約100人の死者を出すまでに激しくなった。また、赤軍派の流れをくむ連合赤軍が12人もの仲間を「総括」の名の下に殺す山岳ベース事件を起こし、最後にはあさま山荘事件を起こす。そのため一般学生の運動離れが決定的となる。地下に潜った一部の黒ヘルの過激グループは、東アジア反日武装戦線を結成し、爆弾闘争を計画、一部を実行し多数の死傷者をだした(三菱重工爆破事件など)。爆破計画の多くは、構成員の逮捕などにより、未遂に終わった。
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