内モンゴルの武安州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 00:19 UTC 版)
本節では、遼代に現在の内モンゴル自治区赤峰市敖漢旗東部に設置された武安州について述べる。 遼の太祖のとき、木葉山のふもとに住んでいた漢人を捕らえて唐の沃州の地に移し、城を建てて杏堝新城とした。さらに遼西から移住者を増やして新州と改めた。990年(統和8年)、新州は武安州と改称された。武安州は中京道の大定府に属し、沃野県を管轄した。 1143年(皇統3年)、金により武安州は武安県に降格した。1167年(大定7年)、武安県は武平県と改称された。
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