内モンゴル人民共和国臨時政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 09:51 UTC 版)
「ポインタライ」の記事における「内モンゴル人民共和国臨時政府」の解説
蒙古自治邦政府崩壊後の1945年(民国34年)9月、ポインタライはモンゴル青年党と連合して、民族独立を主張し始める。そして故郷のソニド右旗で内モンゴル人民共和国臨時政府を組織し、主席に就任した。 しかしまもなく、中国共産党から派遣されてきたウランフとポインタライとの間で政争が開始される。ウランフは、ポインタライが親日政府の一員であった点を巧みに突いて臨時政府内の団結を破壊し、さらに軍事的圧力を背景とすることで次第に支持を獲得していった。そして11月、臨時政府主席にウランフが就任すると張家口市遷都を利用し臨時政府は解散に追い込まれ、ウランフを主席とする内モンゴル自治運動連合会が結成されたのである。 ポインタライは主席を罷免された後、「土匪」「偽八路」に殺害されたが、現在モンゴル国に居住するポインタライの次男ロブスンドンドブの証言によれば、これは政治的暗殺であったという。
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