内モンゴル人民党主席として
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「ショブチョード・テムチルト」の記事における「内モンゴル人民党主席として」の解説
1997年3月20日、米国ニュージャージー州プリンストンにおいて秘密会議が開かれ、米国、ドイツ、モンゴルおよび中国の内モンゴル自治区から、バハ、アルタンバト、オヨンビリグら50数名が集まる。この会議において内モンゴル人民革命党の理念を継承するとして内モンゴル人民党が正式に発足し、テムチルトが主席に選出された。 また、米国、英国、ドイツ、モンゴル国、ブリヤート共和国への支部の設置が決まり、会議後に内モンゴル人民党章程と「内モンゴル人民同胞に告ぐ書」が発表された。 1998年2月、ドイツ、英国、フランス、デンマークなどの代表が参加してライン川の河畔で開かれた国際会議に参加し、自ら情報収集して編纂した「内モンゴルの人権報告書」をジュネーヴの国際連合人権理事会に提出した。 2006年に来日。2月26日に党大会が開催され、非暴力的方法による南モンゴルの独立を目指すこと、適当な時機に南モンゴル臨時政府を樹立すること、内モンゴル人民党の本部をアメリカから日本に移転することを内容とする東京宣言が採択された。 2008年5月16日から開催されたUNPO第9回大会には、内モンゴル代表として出席した。
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