公職引退後:2010-2021
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「デズモンド・ムピロ・ツツ」の記事における「公職引退後:2010-2021」の解説
2010年10月、ツツは「家族と共に家で過ごし、読書と著述と祈りと思索」により時間を使えるようにするため、公的生活からの引退を公表した。2012年11月、ツツはマイレッド・コリガン・マグワイアとアドルフォ・ペレス・エスキベルと共に、アメリカの内部通報者ブラッドリー・マニングを支援する書面を公表した。2014年7月、彼は死の幇助の合法化支援のために出て来て、命は「いかなるコストを払ってでも(at any cost)」保持されるべきものではなく、死の幇助の犯罪化は末期状態の病気を患う人から「人間の尊厳に対する権利(human right to dignity)」を奪うと述べた。2013年5月、ツツはANCが「抑圧からの解放の闘争の中で我々を非常に良く導いた」と同時に、南アフリカの不平等、暴力、腐敗に対抗するには貧弱な仕事をしてきたとして、もはやANCに投票する意思がないことを公表した。彼は南アフリカ政府のダライラマ14世へのビザ発行遅延を鋭く批判し、政府の「中国への三拝九拝(kowtowing to China)」を非難した。ツツは、ネルソン・マンデラはアフリカーナーがマンデラの死を追悼する記念礼拝から排除されたことで幻滅するだろうと述べた。ツツは初めマンデラの葬儀には公式に招待されていないと主張していたが(ANC政権はこれを否定している)、後には出席の意思を表明した。2015年12月、ツツの娘、ムポ・ツツ(Mpho Tutu)が女性であるマーセライン・ファン・フュルト(Marceline van Furth)と結婚した。ツツは彼の娘と、パートナーとの結婚に祝福を贈ることができた。2017年8月、ツツは2011年から2012年にかけての抗議運動に参加したサウジアラビアの14人の若者の処刑を止めるよう促したノーベル平和賞受賞者たちの中に加わった。9月にはツツはノーベル平和賞受賞者仲間のアウン・サン・スー・チーにミャンマーにおけるムスリム迫害(英語版)を停止するように求めた。12月、アメリカ大統領ドナルド・トランプが、パレスチナ人の反対にも関わらずエルサレムがイスラエルの首都であることを公認する決定を下したことを非難し、神がトランプの決定に泣いていたと発言した。 2021年12月26日、南アフリカ大統領府はツツが同日にケープタウンの施設で死去したと発表した。90歳没。
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