公職歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/14 04:06 UTC 版)
ENAに学んだ後、1947年に経済・財務省財務監督局 (Inspection générale des finances) に入省し、経済問題の専門家としてすぐさま頭角を現した。 1952年、議会財務委員会の委員長であったピエール・マンデス=フランス(のち首相)に指名され、委員会の事務総長を務めた。 ジャン・ジャック・セルバン=シュレベール (Jean-Jacques Servan-Schreiber) やフランソワーズ・ジルー (Françoise Giroud) と親しかったノラは、1953年の『レクスプレス (L'Express)』誌の創刊に参加した。経済関係のページを担当し、様々な概念を民主化の観点から捉え直す議論を展開した。 7か月間の短命に終わったマンデス=フランス内閣においては、セルバン=シュレベールとともに、陰の相談役のひとりとなった。首相が毎週土曜日にラジオ放送でフランスの国政について説明する番組『causeries du samedi』における首相の放送原稿の一部は、ノラが書いていた。 ノラは、1969年から1972年まで、ジャック・シャバン=デルマス内閣の首相秘書官ないし内閣総理大臣秘書官 (Directeur de cabinet) を務め、ジャック・ドロールとともに、1969年9月に首相に提出された有名な『新しい社会 (Nouvelle Société)』報告書の執筆にあたった。 1971年には、アシェット (Hachette)・グループの最高経営責任者となり、翌1972年には週刊誌『ル・ポワン (Le Point)』の創刊に関わった。 1982年から1986年まで、ENAの院長を務め、次いで1986年に投資銀行シアーソン・リーマン・ハットン、後のリーマン・ブラザーズに入り、取締役会の監査委員会委員長となった(1987年 - 1995年)。 ノラは、クラブ・ジャン・ムーラン (Club Jean Moulin) とサン=シモン財団 (Fondation Saint-Simon) の創設メンバーである。
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