八幡神社 (東京都港区虎ノ門)とは? わかりやすく解説

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八幡神社 (東京都港区虎ノ門)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 12:10 UTC 版)

西久保八幡神社

拝殿(2016年7月2日撮影)
所在地 東京都港区虎ノ門5-10-14[1]
位置 北緯35度39分41.6秒 東経139度44分34.1秒 / 北緯35.661556度 東経139.742806度 / 35.661556; 139.742806座標: 北緯35度39分41.6秒 東経139度44分34.1秒 / 北緯35.661556度 東経139.742806度 / 35.661556; 139.742806
主祭神 品陀和気命
息長帯比売命
帯中日子命[1]
社格 郷社
創建 寛弘年間(1004年1012年
別名 八幡様
例祭 8月15日
地図
西久保八幡神社
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八幡神社(はちまんじんじゃ)は、東京都港区虎ノ門にある神社である。通常は他との区別の都合上、旧地名を冠して、西久保八幡神社(にしくぼはちまんじんじゃ)と称される。稀に、飯倉八幡宮(いいくらはちまんぐう)とも。

祭神

歴史

この神社は、寛弘年間(1004年1012年源頼信によって霞ヶ関のあたり(榎坂とも)に創建され、室町時代の武将で江戸城主となった太田道灌が現在の地に遷したと伝えられる[1][2]関ヶ原の戦いに際し、崇源院は戦勝を祈願し、後に社殿を造営している。もとは八幡山普門院と号する天台宗寛永寺の末寺であった[1]が、明治初年の神仏分離の際廃寺となり神社に改められた。

1940年(昭和15年)に皇紀2600年を記念して境内を整備するが、1945年(昭和20年)3月・5月の東京大空襲で社殿も含め焼失、トタン葺の仮社殿で存続し、1953年(昭和28年)8月に社殿を総桧木で復興した[2]

2015年(平成27年)7月には戦災により消失した御本社神輿を復興、令和御大典を奉祝し、2019年(令和元年)より社殿ほか神社施設の建て替えおよび境内整備事業から成る「令和の御造替事業」を開始、2021年(令和3年)10月29日に本殿遷座祭を斎行した[2]

境内末社

文化財

氏子地域

港区虎ノ門一丁目2~23、二丁目、三丁目、四丁目、五丁目
港区赤坂一丁目7・10・11・13・14(※)
千代田区霞が関三丁目8
港区六本木一丁目8~10、三丁目16~18、五丁目15~18
港区麻布台一丁目、二丁目1、三丁目
港区麻布狸穴町
港区東麻布三丁目1~3

※赤坂地区は赤坂氷川神社と重複

ギャラリー

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 東京都神社庁.
  2. ^ a b c 縁起 - 西久保八幡神社
  3. ^ 東京都.

参考文献

外部リンク




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