入門〜大関昇進までとは? わかりやすく解説

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入門〜大関昇進まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:39 UTC 版)

北天佑勝彦」の記事における「入門〜大関昇進まで」の解説

室蘭市立本室蘭中学校卒業後1976年3月場所、本名千葉初土俵1978年1月場所幕下昇進機に北天佑勝彦改名幕下時代1979年7月場所では三保ヶ関部屋力士流行性肝炎多数感染し北天佑もその一人初日から休場する8日目から出場している。1980年3月場所、東幕下2枚目の地位で7戦全勝好成績挙げて幕下優勝果たし、翌5月場所19歳十両昇進十両を3場所で通過して同年11月場所20歳新入幕入幕3場所目の1981年3月場所では横綱若乃花から初金星獲得。翌5月場所では9勝6敗で初の三賞(敢闘賞)を受賞し7月場所新三役(小結)昇進以後3場所連続小結を保つも、同年末にはバラエティ番組収録中に怪我をしたことによる休場のため一度幕尻まで下がる。しかし徐々に番付戻し1982年9月場所では若乃花千代の富士の両横綱から金星獲得し10勝5敗の成績2度目敢闘賞受賞した。翌11月場所小結復帰その場所では初日千代の富士破って8勝7敗と勝ち越し殊勲賞を受賞。さらに新関脇1983年1月場所で11勝4敗。3月場所12勝3敗の成績挙げ、初の大関挑戦となった5月場所では初日から12連勝し14勝1敗で初優勝果たした。特に優勝決定の一番は北天佑の「勇み足ではないか物言い付き北天佑足が出るのと出羽の花の体が崩れるのが同時という判定下った末に北天佑取り直しの一番で左に変化して勝利を掴んだものであった。これにより当時大関昇進目安大幅に上回る37勝8敗となり、場所後の理事会大関昇進決まった因みに優勝した場所は新大関朝潮がいたが、新大関がいた場所で関脇以下優勝見られ事例は、戦後15日制下では史上3例目。

※この「入門〜大関昇進まで」の解説は、「北天佑勝彦」の解説の一部です。
「入門〜大関昇進まで」を含む「北天佑勝彦」の記事については、「北天佑勝彦」の概要を参照ください。

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