入門〜平幕時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:08 UTC 版)
はじめは戦前の大横綱でもある双葉山定次への入門を希望していたが、周囲から「双葉山に勝てる男になれ」と言われたことで1942年に出羽海部屋へ入門した。入門当初から横綱を期待されていたため、杉村が相撲部屋へただ入門しただけのことが地元紙の記事になったり、当時は食糧難の時代だったにも関わらず、出羽海の方針でただ一人、腹一杯の食事を与えられるほどの逸材だった。当時のあだ名は、迫力ある立合いのぶつかる音から取られた「ドン」というものであった。 その双葉山が1945年に引退したため、双葉山との対戦は叶わなかったが、新入幕の1945年11月場所には10戦全勝を記録した。これによって16尺土俵と15尺土俵の両方で全勝を記録した力士の一人となったが、もう一人の羽黒山政司も10戦全勝だったことと、当時は番付上位者優勝制度が存在していたため優勝こそ逃したものの、恐るべき力士として印象付けられた。戦後の食糧難の中でベテランたちが次々と引退し、1947年夏場所の時点で部屋の幕内力士が9人にまで減少した中で、千代の山も復活への大黒柱として期待された。
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