入門〜二つ目
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大学卒業後の1995年3月、立川談志に弟子入り。出身大学から一文字とり「談修」となる。過去に談志一門には「談秋(だんしゅう)」という弟子が居たが、別人であり、「談修」としては初代である。 2002年5月、談志より「二つ目への昇進意欲が感じられない」として他の前座(キウイ、志加吾、談号、談大(のち2010年死去)、談吉)とまとめて破門される。 2003年5月、談志により一門復帰試験と二つ目昇進試験が行なわれ、談修のみ復帰と二つ目昇進が認められる。2003年6月に二つ目に昇進。 (これを機に志加吾と談号は立川流から脱退し、名古屋の雷門小福門下に移籍し、雷門獅篭と雷門幸福に改名)。 2004年1月、立川流一門の新年会席上で、再度復帰試験が行なわれキウイと談大が受験。しかし師匠について稽古した踊りは真打の兄弟子から「ラジオ体操」と評されるレベルであり、窮した談志は判断を真打達に委ねた。このとき談志から「踊ってみせよ」と指名され、踊りを見せたあと談志に「これが余興で金が獲れるレベルなんだ」と言わしめたのが、談修の踊りであった(キウイと談大は、談志の意を汲んだ立川志の輔の音頭取りで、立川談志門下復帰を許される)。 2010年2月、四谷区民ホールで行われた『第7回伝統芸能祭 グランドチャンピオン大会』で悲願の初優勝を果たす。 2010年11月6日、「NHK新人演芸大賞・落語部門」本戦に出場。全国放送ではじめて、談修の落語が11分間放映された。談修の演目は「宮戸川」である(大賞は「初天神」を演じた春風亭一之輔。その他の出場者の演目は笑福亭由瓶「阿弥陀池」、桂まん我「お玉牛」、立川志らら「風呂敷」)。
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