偶然の唯物論とは? わかりやすく解説

偶然の唯物論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 09:18 UTC 版)

ルイ・アルチュセール」の記事における「偶然の唯物論」の解説

かつてアルチュセールは、マルクス大きくヘーゲルから引き離してみたものの、依然資本論』に至るまでヘーゲルからの影響或る形で残り続けていたことをもまた、認めていた。このことについては、自己批判の諸テキストの中で、認識論的切断学説に「継続する切断」という説明加えていることからも分かる。 後のアルチュセールは、ついに、ヘーゲルマルクスへの最大負債認めることになる。それは、「過程」という概念である。但し、ヘーゲル弁証法特有の目的論的過程ではない。それは、「主体目的もない過程」、不均等起源を持つ様々な要素織りなす複合的な過程なのだ。そう彼は述べのであるcf.ジョン・ルイスへの回答」)。 この着想は、その色調いくばくか変えながら、歴史的過程作動因を「偶然の出会い」と呼ぶ、晩年の思想つながっていく。エピクロス的な原子。そして、その斜行生む偶然による原子衝突こうしたイメージが、諸要素偶然に凝固して出会って)、一定の持続力をもった一つ歴史的形態なされるという、独特の唯物論つながっていくのである。 偶然の唯物論者の一例としては、マキャヴェッリ挙げられるだろう。アルチュセールによれば、彼は、封建領主制という古い伝統と、やがてブルジョワジー台頭お膳立てをすることになる絶対君主制との、まさに狭間立った機が熟すための諸要素の「偶然の出会い」の前の空白に、彼は場所を占めていたというのである彼の君主論』は、彼の時代ではなく後の時代向けて、いずれイタリア芽を出す国民国家時代向けて書かれたものだと言えるcf.マキャヴェリ孤独」)。 かつてアルチュセール理論主義非難された。彼がそれまで主張していたのは、ひとつに、理論的なものも含めた観念の中での真実所与現実そのもの絶対的同一性であった。だがそれにも拘らず、彼は科学的な知と非科学的な知(イデオロギー)とを、観念の中だけであれ、明確に切り離そうとしたし、恐らくそれが可能だ信じていた。しかし後期思想トーンは、その二分法を己の理論的欠陥として放棄するころから始まっているようだ。「理論における階級闘争」とは、哲学そのもの普遍主義帳消しにしようとする規定であり、主体目的もない過程というのは、歴史主義決定論退けようとしたアルチュセール自身決定論的傾向を、打ちこうとするものであった

※この「偶然の唯物論」の解説は、「ルイ・アルチュセール」の解説の一部です。
「偶然の唯物論」を含む「ルイ・アルチュセール」の記事については、「ルイ・アルチュセール」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「偶然の唯物論」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「偶然の唯物論」の関連用語

偶然の唯物論のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



偶然の唯物論のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのルイ・アルチュセール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS