偶然がもたらした十字軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 00:51 UTC 版)
「モノモタパ王国」の記事における「偶然がもたらした十字軍」の解説
1560年末にポルトガルのイエズス会宣教師ゴンザロ・ダ・シルベイラはモノモタパ王国の宮廷を訪れ、布教活動を行った。翌1561年1月に国王ネゴモ・ムプンザグトと彼の家族、宮廷の要人はキリスト教に改宗するが、霊媒師などの保守勢力は集団改宗に強く反発し、同年3月にシルベイラは処刑される。1569年にポルトガル王セバスティアンはフランシスコ・バヘト(バーレトウ)が率いる1,000人の遠征隊を派遣するが、作戦は遅々として進まず兵数も減り、1572年にようやく遠征隊はザンベジ川を発して進軍する。マラリアや眠り病は遠征隊の戦力を大きく削り、イスラーム商人や敵対的な部族勢力で消耗した遠征隊はテテに退却した。 テテに帰還したバヘトが病没した後に後任の指揮官となったバスコ・フェルナンデス・オメムはソファラから内陸部に西進し、非協力的な態度をとったキテベ王国、マニカ王国を攻撃した。マニカでは金山の調査が行われたが商業的経営は困難であると判断され、ポルトガル人による「十字軍」はモノモタパ王国の軍隊と交戦することなく終了した。その後、アフリカ大陸に居住するポルトガル人の集団を中心として、モノモタパ王国とポルトガル勢力の平和的通商関係が復活した。ポルトガル人、ポルトガル人とアフリカの人間の混血児が台頭し、彼らはザンベジ川下流域に土地を保有するようになる。1597年と1599年の二度にわたってモノモタパ王ガティ・ルセレは北方のマラウイ諸部族の侵入に対抗するためにポルトガル人勢力から援助を受け、1600年から9年に及ぶ内争でもポルトガル人から支援を受けた。1607年に援助の見返りとしてガティ・ルセレはポルトガルの武装勢力の領内の進入を認め、全ての鉱山を割譲する条約を締結するが、これらの条件は履行されなかった。
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