信号機の発明
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オフィサーは、鉄道敷地内の治安維持の仕事もあり、常時持ち場に付いていられるわけではなかった。このため、オフィサーの配置位置に列車が近づくと、機関士はオフィサーがどこにいるかを探して手信号を読み取らなければならなかった。これらの問題を解消するために、1834年にリバプール・アンド・マンチェスター鉄道で初めての鉄道信号機が登場した。これは、時隔法においてオフィサーが行う手信号の代わりをするものであった。赤い方形の板が棒の先に取り付けられており、列車に対して正対する方向に向けられている時が停止、線路に並行に向けられて列車から赤い板が見えない状態になっている時が進行であった。オフィサーは、先行列車が通過してから5分間はこの信号機を列車に正対する向きにしておき、それを過ぎると線路に並行に向けることで、常時オフィサーが線路脇に立っていなくても先行列車との時間間隔を伝達できるようになった。 グレート・ウェスタン鉄道では1837年にボール信号機を導入した。これは赤いボールをワイヤーで柱の上から吊るし、操作ハンドルを回してその位置を操作するものである。ボールを高い位置に上げている時が進行で、地上に降ろしている時が停止である。ボールが高い位置にある状態をハイボールと称し、鉄道係員の間では「(出発)進行」「さぁ行こう」といった意味を表す言葉となった。またアルコール飲料のハイボールの語源になったとも言われている。 アメリカでは、さらにこの信号機の動作状況を隣の駅から望遠鏡を使って監視し、電気通信によらずに先行列車の通過状況を確認して列車間隔を確保する方式に発展した。これは自動信号が登場する前の時点では画期的なアイデアであった。 グレート・ウェスタン鉄道ではさらに1840年11月に円板方形板信号機を導入した。これは方形板信号機が停止指示の時にだけ赤い板が見える仕組みであったものに対して、進行をも明示的に表示できるように改良したもので、進行の時に白い円板が、停止の時に黒い方形板が、それぞれ列車に対して正対するように向けられた。後に白は背景と見間違いやすいため赤に変えられた。方形板信号機では赤い板を見落とすと信号無視になってしまうが、円板方形板信号機では、赤い円板を明確に見つけなければ進行できないことになったので、より安全になった。これにより、信号機の指示が見えない時は停止という、現在の鉄道信号機でも用いられている考えが初めて適用されるようになった。この信号機は、ブリストル・ポート鉄道では1907年まで用いられていた記録がある。
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