信号機の発明以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 03:00 UTC 版)
1830年にリバプール・アンド・マンチェスター鉄道が世界で初めての実用的な鉄道として開通した時には、まだ信号機は備えられていなかった。鉄道は、馬車の馬を蒸気機関車に置き換えられたものとして捉えられており、馬車の延長でしか考えられていなかったからである。蒸気機関車の機関士は、自分の注意力だけに頼って列車を運転していた。 鉄道網が伸び列車の高速化が進むと、単に注意力だけに頼っていては列車の安全を確保することができなくなってきた。このため、警察官出身者を雇って駅構内や線路敷地内の警備に当たらせるとともに、列車に対して手信号で指示を伝えるようになった。当初は列車を止める必要がある時にだけ身振りで情報を伝えていたが、やがて明示的に進行と停止を表す動作が制定されて用いられるようになった。この係員はポリスメン (policemen) やオフィサー (officer) などと呼ばれていた。 その後、先行列車への追突を防止するために、時隔法の考えが登場した。線路沿いに一定間隔でオフィサーが配置され、列車が自分の配置位置を通過してからの時間を計測する。先行列車が通過してからあまりに短い時間間隔で続行列車が通過しようとすると、手信号で続行列車に停止や徐行を指示することで、先行列車との間隔を空けることになっていた。さらに手旗を用いるように改善され、夜間はランプを用いて合図するようになった。当時はまだ時計も一般に普及していなかったので砂時計を用いて間隔を計測していた。多くの鉄道では先行列車通過後5分間は続行列車に停止の指示を、さらに5分間は徐行の指示を送り、10分を過ぎると進行の指示を出すようにしていた。 この方式では、先行列車がオフィサーの配置されている場所の中間に故障などで停車してしまうと、たとえ十分な時間間隔をおいて続行列車が進入してきたとしても追突の危険が発生する。本来は、次のオフィサーの配置位置を先行列車が通過したことを確認してから続行列車に対して進入を許可すべきであるが、電信や電話などの列車より高速に情報を伝達できる手段はまだ発明されていなかったため、このような方策が採られることになった。
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