保守政党
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第五共和国(全斗煥政権)から第六共和国(盧泰愚政権)への平和的政権移譲で盧泰愚政権与党となった民主正義党は、1990年に野党である統一民主党や新民主共和党(総裁:金鍾泌)と合同して民主自由党となった。 民主自由党はその後、離合集散を経てハンナラ党となったが、1997年大統領選挙で金大中候補が当選したことで野党に転じた。金大中・盧武鉉政権時代(1998年〜2008年)における最大野党となったハンナラ党は、2007年大統領選挙で李明博を当選させて与党に返り咲いた後、2012年2月にセヌリ党に党名改称。2012年大統領選挙でも朴槿恵が当選した事で引き続き与党の座を維持した。 民主自由党に合流した金鍾泌は1995年に自由民主連合(自民連)を結成、1998年に発足した金大中政権では与党となったが党勢は衰退した。自民連はその後、国民中心党を経て、自由先進党、先進統一党(統一党)に改編された。2012年11月、セヌリ党と統一党が合併したことで、保守勢力はセヌリ党に一本化された。 セヌリ党はその後、2016年10月に表面化した崔順実ゲート事件をきっかけに党内対立が激化、12月に朴槿恵大統領に対する弾劾訴追が国会で可決された際に造反した非主流派が離党して新党(改革保守新党→正しい政党)の結成を決定した事で分裂。2017年2月に党名を「自由韓国党」に改称 した後、2020年2月に「新しい保守党」等と合同して未来統合党へと再編された。 表3「中道保守政党の沿革」(盧泰愚・金泳三・李明博・朴槿恵政権与党)主な支持基盤党名年概要慶尚道 民主正義党 1981年〜1990年 盧泰愚政権前半期の与党 民主自由党 1990年〜1995年 民正党・民主党・共和党が合同。 新韓国党 1995年〜1997年 民主自由党から党名変更 ハンナラ党 1997年〜2012年 新韓国党と統合民主党が合同して結成。 セヌリ党 2012年〜2020年 ハンナラ党から党名改称。2012年10月に先進統一党を吸収合併。2017年2月に党名を「自由韓国党」に変更。 正しい政党 2017年〜2018年 朴槿恵大統領と距離を置くセヌリ党非主流派議員によって結成。2018年2月に国民の党の一部と統合して「正しい未来党」を結成。 未来統合党 2020年〜 セヌリ党を前身とする自由韓国党の他、新しい保守党など中道保守の諸政党が合同して結成。2020年9月に党名を「国民の力」に変更。 表4「保守政党の沿革」(金大中政権初期は与党)主な支持基盤党名年概要忠清道 新民主共和党 1987年〜1990年 金鍾泌が結成。1990年に民主自由党へ合流。 自由民主連合 1995年〜2006年 民主自由党を離党した金鍾泌が結成、旧・統一国民党 の勢力も吸収 国民中心党 2006年〜2008年 沈大平忠清南道元知事が結成。旧・自民連の一部議員が合流。 自由先進党 2008年〜2012年 李会昌ハンナラ党元総裁が結成。国民中心党が合流。2012年5月に先進統一党へ党名改称。同年11月にセヌリ党へ吸収合併。
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