作家時代
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「キャサリン・パターソン」の記事における「作家時代」の解説
1966年、パターソンは最初の長編小説"Who am I?"を書いたが出版は成らなかった。続いて児童向け長編"The Sign of the Chrysanthemum"『菊の紋(未訳)』を上梓。これは日本の昔話を題材にした作品で、1973年に出版された。1977年の『テラビシアにかける橋』では愛や死といった主題を扱い、賛否両論を巻き起こしたが、ニューベリー賞を受賞し、彼女の代表作となった。 パターソンは他に全米図書賞、国際アンデルセン賞、アストリッド・リンドグレーン記念文学賞などの受賞歴もある。なお彼女は1981年に『海は知っていた』で2度目のニューベリー賞を受賞し、同賞を複数回受賞した数少ない作家の1人となった。
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作家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/13 13:20 UTC 版)
同年12月、当時ペンクラブ専務理事の阿川弘之から「事務局長になって欲しい」との要請に負け翌年1月から出勤、さらに事務所を訪れた前会長の川端康成に「今年は何も書かずにクラブの仕事だけにして欲しい。その代わり来年になったら必ずどこか紹介してあげます」と懇請されてその年の秋に控えた日本文化研究国際会議に向け、慣れない閣議提出の書類作成に忙殺され、肝臓を患い70日の入院を強いられた。しかしその苦労が報われたのか、退院1週間経たずして第67回直木賞受賞の朗報が舞い込む。徳川時代の罪人首切役を務めた山田家の懊悩を描いた異質の作品「斬」がその対象で、ほぼ満票に近い圧倒的支持を得た。受賞後、氏は「私の処女作で、前半生の総決算」とする一方、「この本を読んでいただきたいのは、国家に傷つき、隣人に傷つき、友人に傷つき、父母に、子供に、恋人に傷つき、それでもなお何かを信じてじっと耐え忍んでいる方々である。その耐え忍びのために心の臓から滴り落ちる一筋の血の色が、この作品の中の血のいろどりと重なり合って同じ色であることが分かっていただけたなら、私のこの作品を書いた意図は十分に酬われたと言えるであろう」と語っている。色紙に揮毫を頼まれると好んで「斬夢一閃」と書いたと言う。
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