低床化へのアプローチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 17:09 UTC 版)
「鉄道車両の台車史」の記事における「低床化へのアプローチ」の解説
路上からの乗降を行う路面電車の場合、通常の鉄道車両とは異なる設計が求められる。具体的には、乗客の乗降の便を図る上では客室の床面高さを路面に近づけることが望ましく、古来より様々な方法が試行錯誤されてきた。 その最初期例となったのは、電気鉄道用2軸単台車としては空前のベストセラーとなったBrill 21Eを開発したブリル社が路面電車車両の大型化に対応して1891年に開発した、初の2軸ボギー台車であるBrill 22Eである。この台車は車体床面高さを低く抑えるために通常のボルスタと心皿を省略し、円弧状のガイドと、コンプレッションブロックと称するばね付きのピンを内蔵した支持架で旋回と牽引力を担当し、垂直荷重は側受を介して複列のコイルばねが負担するという、現在のボルスタレス台車の始祖とでもいうべき変則的かつ極めて複雑な構造を備えていた。この台車は同時に、動輪と従輪の2つの車輪径を違え、荷重を負担する側受の位置を動輪寄りに意図的にずらすことで動輪の粘着力を稼ぐ「マキシマム・トラクション」台車の最初期の例の一つでもあるが、これらの特徴的な構造・機構はいずれも、路面電車で求められる床面高さの引き下げと電動機を装架する動軸の粘着力確保を両立する方策として採用されたものであった。 もっとも、変則的な構造を備えるこのBrill 22Eでの試行は、一般的には事実上失敗に終わった。このため、ブリル社はこの野心的な設計を捨てて通常構造のボギー台車への移行を強いられ、Brill 27Gを筆頭とする高床を前提とする27シリーズを開発、一旦は低床台車の開発を中断することとなった。 そのため、各地の路面電車では、これらの通常の高床式ボギー台車を使用しつつ客室床面の低床化を図ることが試みられた。それは例えば台車間の台枠を引き下げ、後年の2階建て車体を備えるボギー車における1階床面と同様に、軌道面に近いレベルまでその部分の床面を下げる、といった方策であり、1910年頃にニューヨーク鉄道 (New York Railway Co.) のヘドリィ・ドイル (Hedley Doyle) によって考案され、その名を取って「ヘドリィ・ドイル・ステップレスカー」(Hedley-Doyle Stepless Car) あるいは運行線区にちなんで「ブロードウェイ・バトルシップ」(Broadway Battleship) と呼ばれる中央出入り台式の車両が20世紀初頭の時点における部分低床車の代表例として知られている。
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