伊勢と宇治山田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 04:38 UTC 版)
宇治山田という地名は、翌年に市制・町村制の施行を控えた1888年(明治21年)に紛糾の末、「宇治山田共ニ往古ヨリ稱スル著名ノ冠名ニ付、兩稱ヲ合セテ宇治山田ト撰定ス」すなわち、「宇治と山田は古来から全国民に親しまれている」という理由から内宮鳥居前町の宇治と外宮鳥居前町の山田の両方の名を合わせて決定した。町名には神都または伊勢の名を冠するべき、宇治を外して山田と単称するべきという意見のほか、そもそも市とするか町とするか、宇治と山田は別個に町制を敷くべき、といった議論もあった。1887年(明治20年)時点の人口は26,546人で、市制の標準人口の25,000人は満たしていたが、「宇治山田町」として出発することになった。 その後、1906年(明治39年)9月1日に市制を施行することになったが、また名称をめぐる問題が起きた。結局、この時点では町名と同じ宇治山田を市名とすることで決着したが、これ以降、折に触れて市名問題が発生することになる。具体的には1935年(昭和10年)頃、1941年(昭和16年)の神社町編入時、1943年(昭和18年)の大湊町・浜郷村・宮本村編入時である。1948年(昭和23年)1月には戦災復興都市計画の中で市名改称の是非を問う公聴会が開かれたが、賛成3人、反対15人、不明1人で否決された。 大きな流れとなったのは1955年(昭和30年)1月1日の豊浜村・北浜村・四郷村・城田村との合併であり、前年の1954年(昭和29年)11月13日に市名改称公聴会の賛成、11月29日の臨時市議会での議決を経て合併と同時に「伊勢市」に改称された。このようにして自治体名としての宇治山田の名は消滅したが、現在でも駅名・学校名・店名などに残っている。 (例)近鉄宇治山田駅、三重県立宇治山田高等学校、三重県立宇治山田商業高等学校、auショップ宇治山田店、ソフトバンク宇治山田店、宇治山田港 また、宇治山田神社という伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社がある。ただし、読み方は「うじようだじんじゃ」である。
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