仮装巡洋艦としてとは? わかりやすく解説

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仮装巡洋艦として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:56 UTC 版)

アーティフェクス (工作艦)」の記事における「仮装巡洋艦として」の解説

第二次世界大戦脅威迫ったことでオーラニアは1939年8月30日海軍本部徴用され、イギリス海軍仮装巡洋艦オーラニア(HMS Aurania, F28)として6インチ主砲始めとする武装搭載された。改装作業1939年10月2日完了した就役後北大西洋船団護衛任務就いた当初北方海域哨戒続いてバミューダ及びハリファックス護衛部隊、さらに北大西洋護衛部隊の任務充てられた。 1941年10月21日、オーラニアはハリファックスからクライドへ向かうSL 89船団護衛として出航した。オーラニアは他の4隻の仮装巡洋艦と共に船団後方に陣取っていたが、そこでラインハルト・ハーデガン率いドイツ海軍UボートU-123(英語版)に発見された 。U-123は午前4時28分にオーラニアに対して魚雷3本発射、うち2本がオーラニアの艦首艦橋下に命中した。オーラニアの第3船倉浸水始まり、艦体は左舷25傾斜した。しかし、オーラニアの積荷であった空のドラム缶浮力材の役割果たしたため沈没免れた艦長アイヴァン・ウォルター・ホワイトホーン大佐は艦の傾斜15度まで回復させることに成功し、オーラニアは再び航行続けたその間、U-123は船団の他の護衛艦艇によって追い払われた 。 混乱の中でオーラニアから6名の乗員乗った1艘の救命ボート降ろされたが、そのボート着水したとたんに浸水してしまった。護衛艦艇の1隻であったハント級駆逐艦クルーム英語版)(HMS Croome, L62)が3名を救助したものの残りは見つからなかった。数時間後、U-123が沈みかけたボート近付き生存者1名を発見して捕虜にした 。傷ついたオーラニアはスループトットランド(英語版)(HMS Totland, Y88)に護衛されながら10月23日ロスシー湾(英語版)へ着いた 。オーラニアは生き延びたものの、ドイツ側はオーラニアを撃沈した主張した

※この「仮装巡洋艦として」の解説は、「アーティフェクス (工作艦)」の解説の一部です。
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