コメート (仮装巡洋艦)とは? わかりやすく解説

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コメート (仮装巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 21:39 UTC 版)


「コメート(SMS Komet)」
艦歴
発注 AG社ブレーメン造船所
起工
進水 1937年1月16日
就役
退役
その後 1942年10月14日撃沈
除籍
性能諸元
排水量 常備:3,287トン
全長 115.0 m
全幅 15.3 m
吃水 - m
機関 MAN2サイクル6気筒ディーゼル機関2基1軸推進
最大
出力
3,900hp
航続
距離
9ノット/51,000海里(重油:-トン)
最大
速力
16.0ノット
乗員 279名
兵装 クルップ 15cm(45口径)単装速射砲6基
6cm(-口径)単装砲1基
SK C/30 3.7cm(83口径)連装機関砲1基
C/30 2cm(65口径)単装機関銃4基
53.3 cm連装魚雷発射管3基6門
機雷30個
装甲 なし
航空
兵装
水上偵察機アラド Ar 196 )2機

コメート (Komet) は第二次世界大戦時のドイツ仮装巡洋艦。秘匿名称はシフ45[1](Schiff 45)である。

艦歴

武装・水上機の配置を示す図
日本の商船に偽装した状態の図

1937年1月16日に進水した貨物船「エムスドイツ語版」を改装して、1940年6月2日に仮装巡洋艦として就役した。1940年7月9日ドイツを出発し、中立国ソ連北の北極海を通り太平洋に入った。12月7日、8日「コメート」と「オリオン」はナウル沖で商船4隻を沈め、12月27日にはリン鉱石の産地でオーストラリアに占領されたナウルを砲撃した。南極海では大日本帝国捕鯨母船である「第二日新丸」に遭遇し、鯨肉の補給を受けるなど交歓した[1]。「コメート」は地球を一周し、1941年1月30日シェルブールに帰投した。

1942年10月、「コメート」は再び出撃することになった。10月13日、「コメート」は水雷艇「T4」「T10」「T14」「T19」を率いてル・アーブルを出港した。5隻は14日午前1時ごろ、アーグ岬沖でイギリス海軍の駆逐艦「クォーン」、「グレイスデイル」、「エスクデイル」、「アルブライトン」の攻撃を受け、「コメート」は被弾炎上した。その後イギリス魚雷艇「MTB236」が「コメート」に対して雷撃をおこない、その直後に「コメート」は爆沈した。ただ、その原因が魚雷艇の発射した魚雷によるものかは不明である。「コメート」の生存者はいなかった。

艦長

脚注

  1. ^ a b 板橋守邦『南氷洋捕鯨史』 中公新書842 ISBN 4-12-100842-1 1987年 P.71-72

参考図書

関連項目

外部リンク




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