仏舎利
*関連項目→〔骨〕
★1.釈迦の遺骨である仏舎利は、白い玉であり、傷つくことも砕けることもない。
『今昔物語集』巻6-4 天竺の康僧会(こうそうえ)三蔵が仏法を伝えるために震旦へ渡り、呉の国を訪れた。呉王の求めに応じ、三蔵は祈りによって仏舎利1粒を出現させた。鉄床の上に仏舎利を置いて金槌で打っても、仏舎利はまったく傷つかなかった。呉王は「これは本物の仏舎利だ」と感嘆し、寺を建立して仏舎利を安置した。
『今昔物語集』巻6-26 唐代の官人粛璟は、仏法を尊んでいた。彼の幼い娘が、仏塔中の仏舎利百余粒のうち、30粒を取り出して斧でたたき、本物かどうか確かめた。すると仏舎利は3~4粒ほどを残して、どこかへ消えてしまった。娘は恐れて父に知らせ、父は仏塔を調べる。仏舎利はもとどおりあって、1粒もなくなっていなかった。
『日本書紀』巻20敏達天皇13年是歳 蘇我馬子宿禰が仏舎利を鉄床の上に置き、鉄の槌で打った。鉄床と槌は砕けたが、仏舎利は少しも傷つかなかった。また、仏舎利を水中に投げ入れたところ、仏舎利は心の願いのままに浮いたり沈んだりした。これによって馬子は、仏法を深く信じて修行を怠らなかった。
『三国伝記』巻10-10 天竺の慶摩童子は12月8日に誕生、3歳の春2月15日になってはじめて両手を開き、2粒の仏舎利を示した。
『神皇正統記』第31代・敏達天皇 聖徳太子は誕生以来手を握っていたが、2歳の時東方を向いて「南無仏」と唱え掌を開くと、1つの仏舎利があった。
*左の掌に舎利2粒を握って生まれる→〔出産〕13aの『日本霊異記』中-31。
★3.仏舎利の数が増える。
『古今著聞集』巻2「釈教」第2・通巻51話 永観律師が七宝塔に仏舎利2粒を安置し、「私が順次(=死後、他生を経ず、直ちに浄土へ生まれ変わること)に往生できるならば、この舎利の数を増やし給え」と祈誓する。後年に七宝塔を開いて見ると、4粒になっていたので、彼は随喜し、2粒を本尊の阿弥陀仏の眉間に込めた。永観律師は79歳で極楽往生した。
★4.仏像から仏舎利を取ることができるか。
『茶の本』(岡倉天心)第3章「道教と禅」 寒い冬の日、丹霞和尚が木の仏像を打ち壊して、焚火をした。それを見た人が「何というもったいないことを」と咎めると、和尚は「灰の中から舎利を取ろうと思ってな」と言う。「木の仏像から舎利が拾えるはずがない」と言い返すと、和尚は「舎利が拾えぬなら、これは仏様ではあるまい。燃やしてもかまわないだろう」と答えて、焚火にあたった。
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