人件費率98%・進まぬ合理化
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「岩手県交通」の記事における「人件費率98%・進まぬ合理化」の解説
1976年6月1日、岩手県交通(県交通)としての運行が開始された。しかし、新会社としてのバス車体デザインが決まったのは翌1977年で、それまでに導入した車両は各社のカラーリングのままで導入され、社名のみが「岩手県交通」と表記されていた。さらに、社内も3社の組織が残った状態で、営業所の体制もそのままであった。北上駅前を例にすると、旧県南バスの車両は旧県南バスの車庫に入庫し、旧花巻バスの車両は旧花巻バスが所有していた折り返し場で待機するなど、岩手県民や利用者から見れば何も変わっていない状態であった。そもそも赤字の会社が合併しても黒字になることはなく、施設の共用など無駄を省くことで初めて合併によるメリットが表に出てくるわけだが、この状態では収支状況の改善は望めなかった。 実際に、営業開始してから1か月後の中元賞与の支給時にも資金繰りに苦しむ状態となり、年末賞与の時期には6億円もの負債を抱える状態になっていた。バス事業はバスの台数分だけ乗務員が必要となる労働集約型産業であり、結果として人件費率も高くなる。バス事業での人件費率は通常70%前後であるが、この時期の県交通では総支出における人件費率が98%にも達しており、日本のバス業界では最悪の数字であった。極端に高い人件費率は、合理化が進んでいないことを如実に示していた。 経営体質の強化を図るべく、沿線自治体に対して資本参加を打診したが、すでに自治体から8億円もの補助金を支出している状態では、どの自治体にもそのような原資はなかった。また合併後の経営実態が甘く、わずか半年で負債が6億円にも上ったという現実から、合併前と経営体質が変わっていないと判断されたため、県は出資を拒否している。その上、未払い賃金がかさみ運賃を値上げする一方で、申請される補助金の額が大幅に上げられて申請されるなど、その経営姿勢にも疑問の声が上がり、銀行団からも融資を拒否されることになった。中央バスには国際興業から役員が送り込まれていたが、1977年には国際興業はすべての役員を引き上げていた。資金調達の手段をすべて失った県交通の経営は、発足後わずか1年強で事実上破綻してしまったのである。 1978年2月には運輸省の特別監査が行なわれ、ワンマン化の状況やバス1台あたりの従業員数を調査したが、ここで改めて合理化の遅れが問題となった。この結果を受けて運輸省では経営改善勧告書により、厳しい行政指導を行なった。これを受けて経営陣の刷新を行うことになり、県では県交通の要請を受ける形で、県福祉部長だった松尾景康を送り込んだ。
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