京阪式と東京式の成立過程をめぐる他の説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 09:10 UTC 版)
「日本語の方言のアクセント」の記事における「京阪式と東京式の成立過程をめぐる他の説」の解説
京阪式が変化して東京式が生じたとする金田一説に、真っ向から対立するような説もこれまでに出されている。 S.ロバート・ラムゼイは、平安時代の文献に記された声点を定説とは逆に解釈し、上声が低い音調、平声が高い音調を表していたと考えた。すなわち、2拍名詞1類は低低(低)、2類は低高(低)、3類は高高(低)、4・5類は高低(低)というアクセント型をもち、これらの下降位置が保存された体系が東京式で、近畿付近の方言では平安時代よりも後に下降位置が前へ移動し、現代京阪式が成立したとした。ラムゼイがこう推定するのは、京阪式分布地域を囲むように東京式が分布することを方言周圏論で解釈したからである。方言周圏論とは、語彙などが中央から地方へ次々と伝播し、中央から離れるほど古いものを保持するという見方である。 金田一説もラムゼイ説も、全国の方言アクセントを平安時代京都アクセントから変化したものとする点では同じだが、服部四郎は金田一よりも早く発表した論文で、前述のように3拍名詞に平安時代京都にない対立が東京式にあることを指摘し、祖語のアクセントは名義抄式よりも古いもので、これが別々の変化を起こして名義抄式(京阪式)と東京式とへ変化したとした。 金田一らの説に応用されている比較言語学の手法は、それぞれの方言が他の方言から影響を受けたり混じりあったりせず自律的に変化することを前提にしている。一方で山口幸洋は、言語地理学の手法を用い、中央から外側へ向かって順番に京阪式、垂井式、内輪東京式、中輪東京式、外輪東京式、二型、無アクセントが分布するのを方言周圏論で解釈している。金田一は、地方では教育の遅れや他地域との交渉の少なさからアクセントの変化が進みやすかったと考えたが、山口は逆に、地方では中央のアクセントを習得しようと努めただろうとしている。ただし山口の説は中央の京阪式が一番新しいというものではない。山口は、元々中央に京阪式、地方に無アクセントがあり、無アクセントの人が中央アクセントを習得しようとしたものの完全にはできず、変換作用によって二型アクセントが生まれ、その後中央に近い地域ではさらにアクセント型の区別を獲得し東京式、垂井式に変化したと考えた。 無アクセント古形説について検討した高山倫明は、無アクセントは新しく発生したものだと結論付けている。その論拠として、各地の無アクセント方言の間に偶然では考えられない有縁性が認められるわけではないことや、九州で東京式アクセントとニ型アクセントの分布域に挟まれて無アクセントが分布することを挙げている 。
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