二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊の意味・解説 

二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 16:11 UTC 版)

大正政変」の記事における「二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊」の解説

陸海軍明治40年策定され帝国国防方針により、当面陸軍が二個師団増、海軍戦艦1隻、巡洋艦3隻の増艦を要求していた。一方で西園寺首相日露戦争後財政難から緊縮財政方針を採っていた。 大正元年8月頃から、陸軍省上原勇作陸軍大臣)と内閣政友会)の間で、二個師団増設巡って対立が深まる。藩閥勢力長老である山縣元老増設求めており、また陸軍内の強硬派は、これを機に西園寺内閣倒閣寺内朝鮮総督首班陸軍主体内閣立ち上げることを計画した。しかし、山縣元老内閣意向世論反発無視して増設強引に推し進めることには慎重であり、また政界引退により桂園体制終焉した後の政友会との関係性を図る意味合いもあり、二個増師が不可能な軍備充実部分的増軍、一年延期などで妥協することも考えていた。 上原陸相は、陸軍内部突き上げ増設反対内閣世論板挟みになったが、11月29日陸軍内の妥協的な動き受けて、一旦は増師撤回表明する。しかし、政界復帰模索するおよび、薩摩閥の復権企図する財部彪海軍次官らは、増師問題こじれて藩閥政友会連携崩れると自らに有利に作用するため、逆に上原陸相に増師を押し通すようにを焚きつけた。 11月30日閣議で、上原陸相は翌大正2年度からの増師を強硬に要求したが、増師計画採用されなかった。12月2日上原陸相は帷幄上奏権利用して単独大正天皇直接辞表提出した事態急転驚いた山縣元老は、内大臣通じて内閣陸軍との和同求め勅語渙発提案し、自ら勅語草案起草するが、この草案の手によって握りつぶされた(12月1日)。侍従長資格西園寺首相面会したが、この時、増師要求受け入れるよう口頭求めるにとどめた。更に、後任陸相について、人選難しいという軍内情勢を伝えた軍部大臣現役武官制により、陸軍から後継陸相推薦出ない場合は、内閣成立しなくなる。 12月3日西園寺首相上原陸相の辞表一時留めおくよう要請したのちに山縣元老面会する西園寺目的後継陸相についてであったが、勅語の手握りつぶされたことを知らない山縣は、増師問題歩み寄ることで互い妥協を図るよう提案した西園寺は、山縣が増師問題で元から妥協をしてもかまわない思っていることを知らなかったため、山縣最初から倒閣目論んでいたと解釈かくなる上は一旦野に下り後継藩閥首脳陣対決するほかない、と一決する12月5日第2次西園寺内閣総辞職した

※この「二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊」の解説は、「大正政変」の解説の一部です。
「二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊」を含む「大正政変」の記事については、「大正政変」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊」の関連用語

二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



二個師団増設問題による西園寺内閣崩壊のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの大正政変 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS