事故当日のEA401便
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 04:34 UTC 版)
「イースタン航空401便墜落事故」の記事における「事故当日のEA401便」の解説
JFK MIA EA401便の出発地であるジョン・F・ケネディ国際空港 (JFK) と目的地であったマイアミ国際空港 (MIA) の位置。事故機はマイアミ空港の近くに墜落した。 イースタン航空401便(以下、EA401便)は、ジョン・F・ケネディ国際空港発、マイアミ国際空港行きの定期旅客便だった。 1972年12月29日のEA401便は、ロッキードL-1011「トライスター」で運航されていた。トライスターはこの年に就航開始したばかりの新鋭機で、左右の主翼下と機体尾部にそれぞれ1発ずつ、計3発のターボファンエンジンを備えたワイドボディ旅客機である。使用機材の機体記号は「N310EA」だった。この飛行機は同年8月にイースタン航空に納入され、事故までの飛行時間は936時間、飛行回数は502回だった。 EA401便の運航乗務員は機長、副操縦士(ファースト・オフィサー)、航空機関士(セカンド・オフィサー)の3名だった。 機長は55歳で、1940年にイースタン航空に入社した。1942年に旅客機の乗務資格を取得し、1951年に機長に昇格した。複数機種の乗務資格を経て、1972年の春から夏にかけてトライスターの乗務資格を取得した。彼は総飛行時間が29,700時間というベテランパイロットで、トライスターでの飛行時間は280時間だった。 副操縦士は39歳で、アメリカ空軍での経験を経て1959年にイースタン航空に入社した。当初は航空機関士として乗務し、1971年12月に副操縦士となった。翌1972年にトライスターへの転換訓練を受けて6月に完了した。総飛行時間は5,800時間、トライスターでの飛行時間は306時間だった。 航空機関士は51歳で、1947年に航空整備士としてイースタン航空に採用された。1955年に航空機関士の資格を取得し、1972年10月から12月にかけてトライスターへの転換訓練を完了した。総飛行時間は15,700時間、うちトライスターでの飛行は53時間だった。 加えてこの日は、整備技術者1名がコックピットの補助席に同乗していた。客室乗務員は10名、乗客は163名(前述の整備技術者を含む)が搭乗していた。
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