事故当日のアメリカン航空587便
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「アメリカン航空587便墜落事故」の記事における「事故当日のアメリカン航空587便」の解説
JFK SDQ AA587便の出発地であるジョン・F・ケネディ国際空港 (JFK) と目的地であったラス・アメリカス国際空港 (SDQ) の位置。JFK空港を離陸後すぐに事故は発生した。 アメリカン航空587便(以下、AA587便)は、アメリカ合衆国ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港からドミニカ共和国サントドミンゴのラス・アメリカス国際空港へ向かう定期旅客便だった。 2001年11月12日の機材はエアバス・インダストリー(現・エアバス)社製のA300-605R型機で、機体記号は「N14053」だった。A300-605RはA300-600型機の1形式で、ワイドボディ(双通路)の双発ジェット旅客機である。この機体は1988年7月に新造機として納入され、事故までの総飛行時間は37,550時間、飛行回数は14,934回であった。客席は2クラス制でビジネスクラスが16席、コーチクラスが236席の計251席であった。当日は5席の空席があったものの搭乗券を持たない5人の乳幼児が搭乗しており、乗客数は251人と実質的に満席であった。当該便には運航乗務員2名と客室乗務員7名が乗務し、搭乗者数の合計は260人だった。 A300-600型機はパイロット2名で運航可能な旅客機である。この日のAA587便の機長は42歳の男性だった。彼はアメリカ空軍予備役およびゼネラル・アビエーションで合計1,922時間の飛行経験を積んだ後、1985年にアメリカン航空に入社した。1988年9月にA300型機の運航資格を取得して副操縦士として乗務を開始し、1998年8月からA300型機の機長として乗務していた。アメリカン航空での飛行時間は8,050時間、そのうちA300型機の機長としての飛行時間は1,723時間だった。 副操縦士は34歳の男性で、1991年にアメリカン航空に入社し、1998年にA300型機の運航資格を取得した。彼はアメリカン航空に入社する前に、他社やゼネラル・アビエーションで3,220時間の飛行経験があった。アメリカン航空での飛行時間は合計4,403時間で、そのうち1,835時間はA300型機の副操縦士として飛行していた。アメリカン航空の記録によると事故当日までに、この機長と副操縦士のペアで36回飛行していた。
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