事故当日のAQ243便
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 15:49 UTC 版)
「アロハ航空243便事故」の記事における「事故当日のAQ243便」の解説
OGG ITO HNL ハワイ島のヒロ空港 (ITO) からオアフ島のホノルル空港 (HNL) に向かったAQ243便は、マウイ島のカフルイ空港 (OGG) に緊急着陸した。 アロハ航空はハワイの島々を結ぶ短距離路線を高頻度で運航していた。アロハ航空243便(以下、AQ243便と表記)もこのようなハワイ諸島内の定期便の一つだった。 当時、アロハ航空の運航機材は11機で、いずれも双発ジェット旅客機のボーイング737型機だった。1988年4月28日のAQ243便には機体記号「N73711」の機体が充てられた。この飛行機は1969年5月に新造機として納入され、事故までの飛行時間は3万5496時間、飛行回数は8万9680回と世界の737型機の中で2番目の経年機だった。 事故当日の当該機は午前中に6便の飛行を行い、11時にオアフ島のホノルル空港で副操縦士が交代した。その後ホノルルからマウイ島のカフルイ空港へ、さらにそこからハワイ島のヒロ空港へ飛行した。ここまでの飛行では機体に異常は確認されなかった。そのまま同じパイロットでAQ243便としてホノルルに向かうことになっていた。 この便の機長は44歳の男性で、1977年5月に737型機の副操縦士としてアロハ航空に採用され、1987年6月に機長に昇格した。総飛行時間は8,500時間で737型機の飛行時間は6,700時間、そのうちアロハ航空の機長としては400時間の飛行経験があった。 副操縦士は37歳の女性で、1979年6月にアロハ航空に採用された。総飛行時間は8,000時間、そのうち737型機の飛行時間は3,500時間だった。 当該便には客室乗務員3名と乗客89名が搭乗していた。それに加えて連邦航空局 (FAA) の航空交通管制官がコックピットの補助座席に同乗していた。
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