事故当日のアメリカン航空191便
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「アメリカン航空191便墜落事故」の記事における「事故当日のアメリカン航空191便」の解説
ORD LAX 191便の出発地であるシカゴ・オヘア国際空港 (ORD) と目的地であったロサンゼルス国際空港 (LAX) の位置。事故はオヘア国際空港離陸直後に発生した。 アメリカン航空191便はアメリカ合衆国の国内定期便であり、イリノイ州シカゴのオヘア国際空港発、カリフォルニア州ロサンゼルスのロサンゼルス国際空港行きであった。1979年5月25日の便には、乗客258人と乗員13人の計271人が搭乗していた。 使用機材はDC-10-10型機であった。DC-10型機は、左右の主翼下に1基ずつと垂直尾翼の付け根に1基、合計3基のターボファンエンジンを備えた旅客機である。機体記号は「N110AA」であり、エンジンはゼネラル・エレクトリック社のCF6-6Dだった。1972年2月25日にアメリカン航空に納入され、事故までの7年間の飛行時間は20,000時間弱であった。飛行記録やメンテナンス記録には、事故前日の1979年5月24日までの機械的不具合は記録されていなかった。事故当日の記録は機体のログブックに綴じられており、事故によって喪失した。 この日の191便の機長は1950年にアメリカン航空に入社した。彼はコンベア240、コンベア990、ロッキードL-188、ボーイング727、707、ダグラスDC-6、DC-7などの運航資格を有し、1971年12月にDC-10型機の運航資格を取得した。総飛行時間は22,500時間で、そのうちDC-10型機の機長としての飛行経験は3,000時間であった。副操縦士は49歳であり、1966年にアメリカン航空に入社し、1977年7月にDC-10型機の運航資格を取得した。9,275時間の飛行時間を有し、そのうち1,080時間がDC-10型機によるものだった。航空機関士は56歳であり、1955年にアメリカン航空に入社し、1971年9月にDC-10型機の運航資格を取得した。航空機関士としての飛行時間は約15,000時間であり、DC-10型機での飛行は750時間であった。客室乗務員の10名全員は、DC-10型機の乗務に必要な要件を満たしていた。
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