事典編纂の構想とは? わかりやすく解説

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事典編纂の構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/29 02:19 UTC 版)

イスラーム百科事典」の記事における「事典編纂の構想」の解説

イスラーム百科事典編纂の話が持ち上がったのは第9回国際東洋学者会議1892年ロンドン大会)(英語版)の席上である:5-6イギリス東洋学者ウィリアム・ロバートソン・スミス英語版)が「ムスリム諸国歴史地理宗教科学芸術執筆対象とするイスラーム百科事典」の編纂提案したところ、参加者賛同を得、12人の委員からなる準備委員会成立した:5-6事典編纂という点ではスミスアイデアは完全に独創的な試みというわけではなく、デルブロ(英語版)の Bibliothèque Orientale(『東洋叢書』、1697年)をはじめ、当時ヨーロッパには、すでに、オリエント人物事物網羅的記述した事典先行例存在したしかしながら19世紀末ごろのヨーロッパにおけるイスラーム関連する人物や事物への興味関心の高まり応えられるものではなくなっていた。 ところが、スミス1894年病没してしまった。第10回東洋学者会議1894年ジュネーヴ大会)では、編纂計画にまったく進展がないことが明らかになり、ハンガリー東洋学者イグナーツ・ゴルトツィーエルやむなく委員長引き継ぐことになったスミス編纂した事典ケンブリッジ印刷製本する構想抱いていたかもしれないのであるが、亡くなった後になって不明である:4-5。ゴルトツィーエルはプロジェクト率いていくことが難しいと考えオランダ東洋学者ライデン大学のミハエル・ヤン・デフーイェ(英語版)を頼った:4-5第11回東洋学者会議1897年パリ大会)では、事典ライデン印刷することが決まり、これを受けてゴルトツィーエルは委員長を自ら辞任して以前から彼が委員長推挙していたデフーイェに引き継がせた。編集者印刷実行される国(オランダ)の居住者であるほうが好ましいというのが辞任理由のひとつである。ゴルトツィーエルは、出版社ブリル出版人ヘルツゾーンの技術的な協力のもとで、この時点ライデン集まっていた原稿基づいて小冊子ドイツ語)を作成し第11回東洋学者会議新しくメンバー準備委員会委員配り好評得た新し準備委員会委員長デフーイェは、編集実務にあたる編集長に、マルティン・テオドール・ハウツマ指名する。ハウツマはこの事典編纂プロジェクトうまくいくずがない思っていた。デフーイェは、ハウツマが、このプロジェクト実現困難にしているものが何かをよく理解してからこそ指名した

※この「事典編纂の構想」の解説は、「イスラーム百科事典」の解説の一部です。
「事典編纂の構想」を含む「イスラーム百科事典」の記事については、「イスラーム百科事典」の概要を参照ください。

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