主の肉と血について
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「パスカシウス・ラドベルトゥス」の記事における「主の肉と血について」の解説
パスカシウスの最もよく知られていて影響力の高い作品である『主の肉と血について』(羅:De Corpore et Sanguine Domini、831年-833年頃に書かれた)は聖餐の本性について述べたものである。この論考はもともとコルビーで彼の指導下にある修道僧の指導マニュアルとして書かれたもので、聖餐の秘跡に関するまとまった量の論考としては西方では初めてのものである。パスカシウスはこの論考の中で、聖餐においてイエス・キリストの歴史的な真の肉体が現前するというアンブロシウスの主張に同意している。パスカシウスによれば、神は真理それ自体であり、それゆえに神の言と働きもまた真であるという。最後の晩餐においてキリストが述べた「パンとワインは自分の身体である」という宣言も、神は真理であると考えるがゆえに、文字通りに受けとられる。聖餐において用いられるパンとワインの聖変化も文字通り起こっているのだと彼は信じる。聖餐がキリストの真の血と肉でありさえすれば、キリスト教徒はそれが救済的なものだと知ることができる。キリストの血と肉の現前によって、教徒の肉体とキリストの肉体、キリストの肉体と教徒の肉体の結合を通じた、直接的・個人的・肉体的な結合におけるイエスとの真の結合が受け取られるとパスカシウスは信じた。パスカシウスにとって、聖餐がキリストの肉と血に変化することは神が真理であるという原理によって可能となることである。神が自然を操作できるのは神が自然を作ったからだというのである。本書は844年に西フランク王国のシャルル禿頭王に特別な序文を添えて献呈された。この著書でパスカシウスが明らかにした考えは幾分かの敵意をもって迎えられた。パスカシウスの説に同意できない部分のあったシャルル禿頭王の命により、コルビー修道院長としてパスカシウスの先任者であったラトラムヌスが同名の反駁書を書いた。聖餐は厳密に比喩的なものであるとラトラムヌスは信じていた。彼は信仰と新しく起こる学問との関係に重点を置いたが、ラトラムヌスは奇跡的なことを信じた。その後間もなく、三人目の修道士ラバヌス・マウルスがこの論争に参加し、本格的にカロリング期聖餐論争が始まった。しかし最終的には、王はパスカシウスの主張を認め、聖餐におけるキリストの実体的な現前がローマ・カトリック信仰の支配的な信念となった。 「私は[アダルハルドゥス]について考え始めると、心内で密かに二つの相反する感情、つまり悲痛と歓喜にとらわれる。そんなとき使徒は私に嘆くことを禁ずるが、私の、私たちの不意の寂寥感のために私たちは喜ぶこともできなくなる。」 パスカシウス・ラドベルトゥス『アダルハルドゥスの生涯』
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