主な合い口
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:32 UTC 版)
「小錦八十吉 (6代)」の記事における「主な合い口」の解説
第55代横綱北の湖は当時現役晩年もあって、1984年11月場所初日に1回のみ対戦。小錦が押し出して勝利、これが唯一の取組となった。 第58代横綱千代の富士は、初対戦の1984年9月場所14日目、一方的に押し出して完勝。その後は合口が悪かったが、1989年11月~1990年5月場所まで4連勝した事もあった。 第59代横綱隆の里も初対戦の1984年9月場所11日目、一気に押し出し初の横綱戦でいきなり大金星。通算でも1つの差で勝ち越した。 第60代横綱双羽黒は2つの差で負け越し。大関獲りの1986年5月場所8日目、取り直しの末鯖折りで右膝を大怪我、休場を余儀なくされた。 第61代横綱北勝海は1つの差で勝ち越し。尚1990年3月場所は霧島も含め優勝決定巴戦となったが、1対戦目は勝ったが4対戦目で敗れ、優勝はならなかった。 第62代横綱大乃国も2つの差で勝ち越し。当時は両力士共に「体重200kg以上の幕内史上最重量対決」としても大きな話題となった。 第63代横綱旭富士は一時14連敗を喫するなど苦手とした。特に1991年5月場所は14連勝しながら本割で旭富士に敗れ、決定戦でも連敗し逆転優勝を許した。 第64代横綱曙、第65代横綱貴乃花、第66代横綱若乃花、第67代横綱武蔵丸は、4力士共に大関時代は合口が良かったが、関脇陥落以降は力関係が逆転して全員負け越している。 先輩大関琴風は、初対戦の1984年9月場所千秋楽に大相撲の末下手投げに敗れ、入幕2場所目の平幕優勝を惜しくも逃した。対戦成績では1つの差で勝ち越し。 先輩大関若嶋津は、共に優勝を争った初対戦の1984年9月場所12日目に寄り切りで勝利。その後も得意とし大きく勝ち越している。 先輩大関北天佑は合口悪く、4つの差で負け越し。但し1987年3月場所8日目、北天佑の左膝を怪我させて痛がるのを察した小錦は、取り直しで北天佑の膝を庇いながら寄り切った。 1984年7月場所の幕内同時昇進だったライバル・大関霧島とは、幕内対戦成績でも19勝19敗と全くの互角だった(他十両時代に1勝、優勝決定巴戦で1敗)。 後輩大関貴ノ浪は、大関時代だった初対戦の1992年3月場所2日目は勝利したものの、その後は苦手とし5つの差で負け越し。 のちに後輩大関となる武双山、魁皇、栃東の3力士共、関脇陥落以降に対戦するも、揃って僅差で負け越している。 関脇以下では安芸乃島を大の苦手とし、1988年9月場所の初対戦からいきなり7連敗。自身幕内初優勝時の1989年11月場所で漸く初勝利するも、対戦成績は10勝25敗と大きく負け越し。
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