主な事件・災害
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西日本水害 - 6月28日に署長以下25人、舟艇1隻、伝馬船2隻が久留米市警察の応援に向かい、6月30日まで久留米市内の警備・救難に従事した。
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主な事件・災害
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競輪騒擾 1950年2月6日、久留米競輪場のレースで八百長が発覚し観客が騒いだため、警察吏員107人が出動した。 反税闘争 1950年2月22・23日に日本共産党筑後地区委員会と日本農民組合(現・全日本農民組合連合会)三井支部が久留米税務署で開催した、「更正決定返上人民大会」が税務署との交渉決裂で終わったことで参加者が暴徒化したため、警察吏員207人が出動し12人を検挙した。 平和の声事件・労働者事件 1951年2月4日、前年に無期限発禁処分となった日本共産党の機関紙『アカハタ』の後継紙である『平和の声』を配布しようとしたとして、2月4日に関係者を一斉捜索し同誌を押収した上で5人を検挙した。5月24日にも再び後継の機関紙を配布しようとしたとして関係者の捜索と逮捕状の執行を行い、1名を検挙したが1名の逃亡を許した。 朝鮮人デモ事件 1952年、浮羽地区警察署管内で発生した集団暴行事件の被疑者を久留米拘置所に留置していたところ、被疑者を奪還しようと「朝鮮人」約130人が5月21日と6月7日の2回にわたり凶器を携え押しかけたため、国家地方警察の応援でデモ隊を解散させた。 五・三〇記念反戦デモ事件 1952年5月30日、日本共産党筑後地区委員会が主催した夜間デモで、デモ隊の1人が新聞記者のカメラを強奪したため、被疑者1名を検挙した。 西日本水害 1953年6月26日午前5時に非常招集を発令し、避難誘導と警戒、救助活動を行った。小森野橋では、濁流の中消防団と流木除去中の巡査5人が流されたが、筑後川鉄橋で1名、豆津橋で1名が救出され、残りの3名も3km下流の天建寺橋で救出された。また、大牟田市警察(署長以下25人、舟艇1隻、伝馬船2隻)と三山地区警察署(署長以下3人、パトカー1台)、八女地区警察署(20人)からも応援があった。
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