丸正百貨店の破綻
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「ぶらくり丁商店街」の記事における「丸正百貨店の破綻」の解説
こうした交通不便な立地が災いし、1987年(昭和62年)4月24日には和歌山近鉄百貨店がJR和歌山駅前の和歌山ターミナルビルへ移転した。駅前へ移転し利便性を高めた和歌山近鉄百貨店は、ぶらくり丁の中核店舗である丸正百貨店の顧客を奪って地域一番店となった。これに対抗し、丸正百貨店も1990年(平成2年)10月に新店舗を建設した。 しかし2000年(平成12年)春には、和歌山近鉄百貨店がJRの引き込み線跡地を活用する形で増床し、売場面積32,400m2として品揃えでも優位に立った。 丸正百貨店は百貨店同士での競合でも追い詰められ、2001年(平成13年)2月26日に自己破産を申請して閉店に追い込まれた。 詳細は「丸正 (百貨店)」を参照 こうした地域の衰退を受け、商店会や地元有志により2000年(平成12年)3月にまちづくり機関 (Town Management Organization, TMO) 株式会社ぶらくりが設立され、民間主導の団体として地域活性化に取り組むこととなった。 丸正百貨店の跡地は当時、地元の不動産業者である和島興産が所有していた。当時の和歌山市長旅田卓宗は跡地に公立大学を設立するとして、仮称「公立和歌山創造大学」構想を打ち出したものの、2002年(平成14年)7月に和歌山市議会で否決された。これを受けて旅田は直ちに「民意を問う」として辞職し市長選に再出馬したものの、元和歌山県知事大橋正雄の長男で毎日新聞記者だった大橋建一に大敗を喫した。 「旅田卓宗」も参照 2003年(平成15年)に和島興産とは無関係な別の地元不動産業者が再生計画を作ったが、本館の計画は実現せず、2004年(平成16年)に北別館のみをレストラン・音楽スタジオなどの複合施設として開業したものの、短期間で経営破綻に追い込まれてしまった。 現在の営業形態については「フォルテワジマ」を参照
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