三重合同電気の設立とは? わかりやすく解説

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三重合同電気の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 16:45 UTC 版)

合同電気」の記事における「三重合同電気の設立」の解説

1914年大正3年)の第一次世界大戦勃発以後産業急速な発達により日本各地電力不足が発生していたが、当時三重県下では上記のように複数中小事業者乱立してそれぞれ独自の経営追われており、総合的な電力供給は困難であったこうした状況下において、戦後電気事業統合整理国策とされると、当時三重県知事山脇春樹在任1919 - 1922年)は国策反映して割拠経営弊害解消するべく県下電気事業統一画策、主要5社に対して合併勧告した知事勧告受けて各社代表者協議重ねたが、北勢電気当時周辺事業者相次いで合併していた関西電気名古屋電灯後身、後の東邦電力)との合併選択し1922年大正11年5月同社吸収された。また巌倉水電合併から離脱したため、この2社を除いた津電灯伊勢電気鉄道松阪電気の3社にて合併協議進められることとなった。 そして3社の新設合併により新会社設立するという合併契約締結され1921年大正10年11月27日、3社はそれぞれ臨時株主総会開いて合併承認したその後新会社設立手続きが採られ、翌1922年2月2日付で関係官庁から合併に関する認可取得最終的に同年5月1日津電灯伊勢電気鉄道松阪電気3社合併による新会社三重合同電気株式会社」の創立総会津市内の津商会議所開催され会社設立至った会社設立時資本金は1250万円(うち11393750円払込)で、本社津市南堀端2130番地設置経営陣代表取締役社長に川喜田久太夫、取締役副社長安保庸三それぞれ選出された。社長の川喜田は、東京日本橋大伝馬町にも店を構える津の木綿商にして百五銀行頭取副社長安保松阪電気中心に会社経営あたった松阪町実業家である。 川喜田社長在任2年間で1924年大正13年7月退任同年9月より太田光熈が2代目社長に就任した以後太田東邦電力合併するまで社長務めることとなる。太田関西私鉄京阪電気鉄道設立初期から入社して社長にまで昇任1925年)した鉄道経営者であるが、養父太田小三郎が伊勢電気鉄道社長であった関係から1918年より同社社長務めていた。

※この「三重合同電気の設立」の解説は、「合同電気」の解説の一部です。
「三重合同電気の設立」を含む「合同電気」の記事については、「合同電気」の概要を参照ください。

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