三重城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 10:12 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
三重城 (沖縄県) |
|
---|---|
1945年以前の三重城
|
|
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 尚清王 |
築城年 | 1564年 |
廃城年 | 1879年(明治12年)(明け渡しの年) |
地図 |
三重城(みえぐすく、沖縄語:みーぐしく)は、沖縄県那覇市にある琉球のグスクである。那覇港の国場川北側の河口に位置している。
歴史
三重城は、1546年に尚清王が那覇港の北口に築いた[1]。姉妹城である屋良座森城と並んで、那覇港と市街地を守るために建てられた。この2つの城の間には、鉄の鎖でできたブームネットを張って、船が港に入れないようにできた[2]。三重城は2つの城のうち小さい方だが、7~9cmの大砲で武装していた。防御側は槍や国産のハンドキャノンで武装していた。これらの防御は海賊に対するものであったが、1609年の薩摩の琉球侵攻の際には、薩摩の艦隊を追い払うことに成功した。その後も海賊対策のために利用されたが、一般的には市民が船の出入を見るために利用されるようになった。
もともと、城は海上に建てられ、本土につながる長い土手道があった[1]。しかし、時が経つにつれて、土手道と北側の陸地の間に土砂が堆積し、土手道が海岸の役割を果たすようになった。1879年に琉球王国が日本に併合された後、城には望楼が建てられた。現在は海上保安庁の監視塔が建っているが、敷地自体は一般公開されている。
脚注
- ^ a b Turnbull, Stephen. The Samurai Capture a King: Okinawa 1609. Oxford, Osprey Publishing, 2009. Page 26-29, 40-43, 46-47.
- ^ Smits, Gregory. "Examining the Myth of Ryukyuan Pacifism". Asia-Pacific Journal: Japan Focus. 2010. http://www.japanfocus.org/-Gregory-Smits/3409/article.html accessed 16 November 2015.
三重城(みえぐすく、ミーグシク)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 13:44 UTC 版)
「首里城」の記事における「三重城(みえぐすく、ミーグシク)」の解説
港口の防御砲台。那覇港口の北岸側に設けられており、岸との間に石造りアーチ橋が架けられていた。現在はアーチ橋の石組みの一部が残る。
※この「三重城(みえぐすく、ミーグシク)」の解説は、「首里城」の解説の一部です。
「三重城(みえぐすく、ミーグシク)」を含む「首里城」の記事については、「首里城」の概要を参照ください。
- 三重城のページへのリンク