三浦綾子とは? わかりやすく解説

三浦綾子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 19:56 UTC 版)

木内綾」の記事における「三浦綾子」の解説

作家の三浦綾子は、1966年昭和41年)に展覧会木内に逢って以来木内にとって親友呼べ存在であった。夫の三浦光世共々家族ぐるみでの交友があった。下の名の「綾」が共通することから、2人旭川で「東の綾に西の綾」ともいわれた。 1977年昭和52年)に木内招待出品ギリシャ訪ねたとき、飛行機故障引き返したことがあり、翌1978年昭和53年)にハンガリーへ行く際に、前回恐怖心から三浦に「万が一場合後事託したい」と伝えたところ、三浦黙って聞きつつも、「神様この世に必要と思う人決し召しません。先生まだまだ必要な人ですから、安心して行ってらっしゃいでも、お話はきちんと承りました」と返した。このことで木内三浦を、人間の器が自分と違うと感じたという。 三浦自宅外出でも、常に木内優佳良織を身に着けており、「歩く優佳良織」と呼ばれるほどだった。夫の光世証言によれば日本国外への取材旅行時にも、よく木内から譲られ優佳良織の上着を着ており、現地で「手織り立派な織物ですね」と声をかけられることもあったという。常に優佳良織を身につけているあまり、三浦の方が木内間違われたことすらあるという。 木内綾先生とはずいぶん長い間おつきあいさせていただいてますけれど、そう頻繁に会うわけではないし(略)」三浦綾子「たとえ一年一度しかお会いしなくても、友だちの質としては毎日会っているみたいな……。それどころか、姉妹のように通じ合っている部分があるわね」 三浦光世「(略)家内木内先生にまちがわれることがあるですよ。優佳良織着ているということもあるでしょうが、どこか雰囲気似ているでしょうか」 — 「相手何を大事にしているかわかるのがほんとう友だちよね」、主婦の友 1983, p. 97より引用 三浦自身小説果て遠き丘」にも優佳良織登場させ、その美しさを語らせたほどである。 「すてきねえ、ユーカラ織って」(中略旭川民芸品であるユーカラ織が陳列されている。「流氷」「秋の摩周湖」「さんご」などと、テーマのついたユーカラ織の色は、どれも深み帯びて美しかった流氷の濃い青、さんごの赤、それぞれに恵理子の心を捉える美しさがあった。 「ユーカラ織の色って、青色ひとつ出すのに、色を何十種類も使うんですってよ」 — 三浦綾子『果て遠き丘』、三浦 1978, p. 473より引用 また三浦当初文学館作ることを固辞していたが、晩年パーキンソン病悪化する中で、木内に「作品を残す場所をつくってほしい」と漏らしたといい、そのこと三浦綾子記念文学館設立実行委員会誕生三浦綾子記念文学館開館きっかけ一つともなった三浦死去にあたっては、木内は「一時は、私も『ぼろ切れと言われながらも、一徹織物続けてこられたのは、自分に正直でありたいと思う気持ちを人との出会いの中で学んだから」「信じ合え友人確信持って言える希少な人でした」と、その死を悼んだ

※この「三浦綾子」の解説は、「木内綾」の解説の一部です。
「三浦綾子」を含む「木内綾」の記事については、「木内綾」の概要を参照ください。

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