ロンドン塔での暮らしと晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 14:30 UTC 版)
「ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバランド伯)」の記事における「ロンドン塔での暮らしと晩年」の解説
未だ裕福であったノーサンバランド伯は、ロンドン塔の中で快適な生活を送った。マーティン・タワーにかなり広いアパートメントを所有し、さらにそこを改築した。また20人の使用人を抱え、その内の何人かはタワー・ヒルに下宿していた。書籍に年間50ポンドを費やし、蔵書をかなり増やした。また屋根付きのボウリング場やテニス、フェンシングの施設を利用することもできた。さらにトーマス・ハリオットやウォルター・ワーナー(英語版)、ロバート・ヒュース(英語版)といった「ノーサンバランド伯のマギ(賢者)」と呼ばれた学者たちとも定期的な交流をもっていた。メイン陰謀事件により、伯爵に先立って塔に収監されていたウォルター・ローリーとも交流を持ち、互いに先進的な科学アイデアを語り合い、タバコをふかして過ごした。 1616年に初代サマセット伯ロバート・カーと彼の妻フランセス・カーが塔に収監され、以降、伯爵夫妻と社会的交流を深めることとなった。フランセスは、ノーサンバランド伯の次女ルーシー(英語版)と初代カーライル伯ジェームズ・ヘイ(英語版)との結婚を促した。この結婚話に対し、伯爵は「娘がスコットランドのジグに合わせて踊る」のを見たくないと言って反対した。そしてルーシーを塔内に住まわせたが、これをフランセスが出し抜き、2人は結ばれた。結婚を猛反対されたにも関わらず、カーライル伯は義父の尊敬を得ようと決意し、伯爵の釈放を求めて戦い、これは1621年7月に実現されることとなった。 釈放されたノーサンバランド伯は聴覚障害と視力低下に悩まされており、健康を取り戻すためにバース・イン(後のアランデル・ハウス(英語版))に滞在した。回復後、ペットワース・ハウス(英語版)に隠居し、1632年11月5日に亡くなるまで過ごした。 妻は1619年に亡くなった。
※この「ロンドン塔での暮らしと晩年」の解説は、「ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバランド伯)」の解説の一部です。
「ロンドン塔での暮らしと晩年」を含む「ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバランド伯)」の記事については、「ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバランド伯)」の概要を参照ください。
- ロンドン塔での暮らしと晩年のページへのリンク