ロンドン塔で処刑された人々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:05 UTC 版)
「ロンドン塔」の記事における「ロンドン塔で処刑された人々」の解説
ロンドン塔は監獄でもあったことから、ここで処刑もしばしば行われた。以下はそのうち歴史に名を残す著名な人々のリストである。 1471年 ヘンリー6世 ランカスター朝最後の王。薔薇戦争でヨーク朝のエドワード4世に捕らえられ、暗殺される。 1483年 エドワード5世とヨーク公リチャード 共にエドワード4世の王子。父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。1674年に二人の子供の骸骨が発見されている。 1535年 ジョン・フィッシャーとトマス・モア 1番目の王妃と離婚するためにローマ・カトリック教会との縁を切って新しい教会を作ろうとしたヘンリー8世の政策に反対したため、反逆罪に問われてタワー・ヒルで処刑された。 1536年 アン・ブーリン ヘンリー8世の2番目の王妃。姦通罪などにより城内のタワー・グリーンで処刑された。アンに着せられた姦通などの罪は濡れ衣であったとされ、ロンドン塔には今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。 1540年 トマス・クロムウェル ヘンリー8世を支えた宰相。クロムウェルの推挙により4番目の王妃としてイングランドへ輿入れしてきたアン・オブ・クレーヴズをヘンリー8世が気に入らず、わずか半年ほどで離縁。クロムウェルもこの責任を取らされてタワー・ヒルで処刑された。 1542年 キャサリン・ハワード ヘンリー8世の5番目の王妃。アン・ブーリンと同様に姦通罪に問われ、不貞の手引きをしたとされる女官のロッチフォード子爵未亡人ジェーン・ブーリンと共にタワー・グリーンで処刑された。 1554年 ジェーン・グレイ ヘンリー7世の曾孫。エドワード6世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、メアリー1世に敗れ9日間で廃位。タワー・グリーンで処刑された。なお夫ギルフォード・ダドリーも同日タワー・ヒルで処刑された。 1601年 エセックス伯ロバート・デヴルー エリザベス1世の寵臣。反乱を企てたためタワー・グリーンで処刑された。
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