ロンドン地下鉄への融合 1918年-1939年
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「エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道」の記事における「ロンドン地下鉄への融合 1918年-1939年」の解説
1921年鉄道法により、グレート・ノーザン鉄道は1923年にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道(英語:London and North Eastern Railway、LNER)の一部となった。ロンドン・アンド・ノース・イースタンは1924年1月に旧エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道の路線の電化計画を公表している。 一方で、ロンドン電気鉄道の一部となったチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道は1901年にエッジウェア・アンド・ハムステッド鉄道が受けた路線認可を利用してゴルダーズ・グリーンからヘンドン経由、エッジウェアに設けた新駅までの路線を建設し、旧エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道と直接競合する状態となった。ロンドン電気鉄道はワトフォード・アンド・エッジウェア鉄道の権利も買収し、エッジウェアからブシー(英語版)、ワトフォードへの路線建設計画を発表した。 ロンドンの公共交通機関運営会社は1933年にロンドン旅客運輸公社に統合され、公社はニュー・ワークス・プログラム(英語版)と呼ばれる、下記の旧エッジウェア・ハイゲート・アンド・ロンドン鉄道に関連する計画を発表した。 全線を電化し、単線で残っていたフィンチリーからエッジウェアまでの区間は複線化する。 ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道をロンドン地下鉄のエッジウェア駅に乗り入れさせ、イースト・フィンチリーからの列車の終着駅とする。 地下鉄をアーチウェイからイースト・フィンチリーまで、ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道のハイゲート駅地下を経由する新線で延伸する。 エッジウェアからブシー・ヒース(英語版)まで延伸し、途中にブロックリー・ヒル駅(英語版)とエルストリー・サウス駅(英語版)を設ける。 イースト・フィンチリー駅とハイゲート駅の全面的な改築を含む計画の大半は順次実行に移され、電化工事も第二次世界大戦によって計画が中断するまで順調に進捗していた。工事のため、フィンチリー・セントラルとエッジウェアの間の旅客営業は1939年に休止された。 ミル・ヒル・イーストからエッジウェアまでの路線が描かれた1930年の地図
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