ロングアイランド侵略
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「ロングアイランドの戦い」の記事における「ロングアイランド侵略」の解説
8月22日午前5時10分、イギリス軍の前衛隊4,000名がクリントンとコーンウォリスの指揮でスタテン島を離れロングアイランド上陸に向った。午前8時、4,000名全員が抵抗も無くグレイブスエンド湾の岸に上陸した。ペンシルベニア・ライフル隊のエドワード・ハンド大佐がこの海岸に駐屯していたが、上陸を阻止できずに後退し、途中で牛を殺し農家を焼いた。正午までに15,000名の軍隊が40門の大砲と共にこの海岸に上陸した。数百人のロイヤリストがイギリス軍を迎えに出てきたので、コーンウォリスが前衛隊と共に前進し、島の中を6マイル (10 km) 進んでフラットブッシュの集落で宿営地を作った。コーンウォリスはそれ以上進まないよう命令されていた 。 ワシントンは上陸と同じ日にその報せを受け取ったが、勢力については8,000名ないし9,000名と報らされていた。このことでワシントンは予測していたようにそれが陽動行動であると確信したので、ブルックリンには1,500名の増援を送っただけであり、ロングアイランドの部隊は総勢6,000名になった。8月24日、ワシントンはロングアイランドの指揮官をサリバンからイズラエル・パットナムに交代させた。パットナムは翌日6個大隊と共にロングアイランドに到着した。この日はロングアイランドのイギリス軍に5,000名のドイツ人傭兵部隊も加わり、総勢は20,000名になっていた。上陸直後の数日間はほとんど戦いも無かったが、ライフル銃を装備して時々イギリス兵を狙い撃ちする大陸軍狙撃兵との小競り合いが起こった。 大陸軍の作戦はバットナムがブルックリンハイツから防衛隊の指揮を執り、サリバンとスターリングの部隊がグアナハイツを守るというものだった。グアナハイツは標高が150フィート (45 m) あり、ブルックリンハイツに直接至る道を塞いでいた。ワシントンは、グアナハイツに居る部隊がイギリス軍に大きな損失を与えた後で、ブルックリンハイツの主力防衛隊の所まで後退することができると考え、そこに部隊を配置した。グアナハイツに抜けるには主要な3つの通路があった。ゴワナス道路が一番西にあり、そのやや東にあるフラットブッシュ道路は大陸軍前線の中心であり、イギリス軍の攻撃が予測された。3つ目のベドフォード道路が一番東にあった。スターリングが500名の部隊と共にゴワナス道路を守り、サリバンがフラットブッシュ道路に1,000名、ベッドフォー道路に800名を置いて指揮を執った。背後のブルックリンハイツには6,000名の部隊が残された。しかし、グアナハイツに至る道路にはさらに東にジャマイカ・パスと呼ばれるあまり知られていない道路があった。この道は乗馬したわずか5人の民兵士官が守っていた。 イギリス軍ではクリントン将軍が地元のロイヤリストからほとんど防御のないジャマイカ・パスについて知らされていた。クリントンは作戦を立て、それをウィリアム・アースキンに託してハウに提案させた。クリントンの作戦は主力部隊に夜間の行軍をさせてジャマイカ・パスを抜けて大陸軍の側面に回らせ、他の部隊は大陸軍の前面で騒がしくさせておくことだった。8月26日、クリントンはハウからその作戦を採用し、クリントンが主力部隊10,000名の前衛隊を率いジャマイカ・パスを行軍すべしという伝言を受け取った。この部隊が夜間の行軍をしている間に、ジェイムズ・グラント将軍のイギリス兵部隊が幾らかのドイツ人傭兵部隊と共に総勢4,000名で大陸軍の正面を攻撃し、大陸軍がイギリス軍主力の側面迂回から気を逸らせておくこととされた。ハウは8月26日の夜に動き出す準備をするようクリントンに伝えた。
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